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思いつくまま書き記し。

7月20日から書いていないなんて
夏休みになってから
パソコンそのものに向かっていないこと以外の
何ものでもないわと、一ヶ月振り返り。

昨年に引き続いて、
夫と二人きりの海水浴は、もはや3度も行ってしまいました。
シミのひとつやふたつ
いや、四つや五つ増えるのは気にはなるけれど
早朝の海に、いざいざと駆けつけ
気持ちよすぎるこのゆるい波に揺られ
帰宅シャワー後の、風にそよがれての昼ね
それに続く、きっちり冷やしたスイカ食べ放題の満足感に

夏です夏です、もうすぐ四捨五入すると50歳かもしれないと
だから、海水浴は、世間様の御目汚しとわかっていても
夏だからゆるしてください、ああ気持ちいい。

SEXよりも気持ちよい老年準備の出来事を
神様は、供えてくださるのだと
感謝でいっぱいの気持ちです。


SEXと海水浴を、比べることは
無理があるのかもしれないけれど

嫉妬でトチ狂っていた
自分の幸せのために
あなたと夫婦を守るためにと
目玉をぎらぎらさせていたあの日は
もうはるか彼方に、海の向こうにかすんでかすんで
消えてしまう日が、毎日毎日やってきてたまりません。



・・・もちろん、子供のこと、経済のこと、仕事のこと、将来のこと
様々に悩みは新たにやってきますが
神様は、かならず脱出させてくださるのだと振り返ります。



このブログに、夫婦のことで悩んできてくださる方へ
悩んで苦しんでください。
でも、目標をけして、見誤らないでください。

時が、必ずあって、必ず幸せがきます。

私は、そう体験して、今、なんだかすごそう思うので
思いつくままに書き記し。

お前が頑張れよ

数週前ですが、施設の利用者さんとともに小旅行に行ってきました。

車いすに乗った、四肢麻痺の方と
知的障害をもたれた方、お二人と
職員がそれぞれについて、6人の楽しい旅でした。


時に、食事時間。
四肢麻痺の方は、まったく手がなえているので
職員である私たちが、全て口に運んで差し上げます。
全介助です。

皆で、ゆっくりおしゃべりをしたり、
少しふざけたり、田舎の空気のおいしさもあいまって
楽しく、おいしくいただきました。

食事も一段落したそのときに
遠めに座っていたご婦人の一団が、帰り際に声をかけてきました。


『かわいそうにねぇ。』
『頑張ってね。』
『頑張って生きてね。』
『くじけないでね。』
『本当に、頑張ってね。』
『ねぇ、かわいそうに。』


突然のことで、何をどうして何に向かって
言われているのか、すぐには、分からずにいましたが
繰り返される『頑張れ』にだんだんとむかついてきました。

むかつくという言葉は、こういうときに使っていいのだと
とてもよくわかりました。

ご婦人は、おばさんたちは、
この小集団にむかって
『かわいそうに、かわいそうに』を連発していました。

障がいのある方との接点が
ほとんどないであろう、おばさんたちの
一見善意ともとれるような励ましは、

十二分に頑張って、親から離れ、
こうして旅行までもできるようになった彼女たちに
かわいそうな人生忘れるな、それを背負えと連呼しているようで
私のスイッチをむかつきONにします。


以前に、自閉症やダウン症、その他様々な重度の障害を持たれた
お子さんを持つおかあさんたちとの交流・学び会がありました。
そのときに、まずは、教えていただいことが頭に浮かんでいっぱいになります。

【この子たちを『かわいそう』とだけは思わないでください。
 この子たちは個性的なんです。
 個性が強すぎるのです。ですから、その個性を皆さんの個性とともに
 生かしていただけると、きっとまた新しい何かがうまれると思います。】


けたたましいまでの『頑張れコール』が去ったあと、
いつも温厚で、冷静で、力強く、誠実な
尊敬する先輩職員がひとこと言います。


先輩職員 『頑張れ頑張れって、自分が頑張ればいいんだよ。
       ねぇ丸山(仮名)さん、お前が頑張れよって
       言い返してやっていいんだよ。』

丸山さん 『私は、頑張らないよ~~。いつもありがとう。あははっは。
       職員さんは頑張れよ。あはっははは。』




彼女たちは、乗り越えています。
乗り越えていて、また、乗り越えさせてもらっていることを
よく受け止めておられます。


わかったつもりになっている。
知ったつもりになている。
できたつもりになっている。

そんなことが、数えきれないほどあること。
まだまだ、私が学ぶこと、信じること、ゆだねること
祈ること、心和むこと、神様はどれほどプレゼントしてくださるのだろう。

今の生活②ほぐしほぐし

田口ランディ公式ブログより
ブログを休んでいるときは、なにもないわけではなくて、
いろんなことがありすぎて書く時間がないのだ。
ブログはだいたい、暇なときほどよく更新する。

気がつくともう五日も書いていない……というような時は、
書くことを忘れているくらいいろんなことがあって、
いわば充実しているときなのだ。



*************

プロの文章は、簡潔明瞭で分かりやすい。
しかも、好みもあるので、ますます惹かれます。
今の私の日々を寸分たがわず、言い表していて、
引用じゃなくて、まねしたい、丸写ししたいくらいと正直、そう思う。





悩んでいるときや、苦しいとき
切ないときや、困ったとき、
まさしく試練に没頭しているときは、
何か書かずにいられない。いや、いられなかった。

その苦しいことや、考えることが
頭の中や心の中だけに押さえ込むことができなくて
湧いてくる湧いてくる、いや
こみ上げる?いやいや、そんなきれいな形じゃなくて
逆流してくるような感じだった。


今も、子供のこと、生活のこと、日々のこと
ああ~~~苦しいと思うことはあるけれど
そのことを思い煩うことはないので、
ブログや文章に表すことに
没頭することはなくなった。

よく言えば、
様々な起こってほしくないこと
うんざりすること、
がっかりすること、しんどいこと
これさえなければということを

これは、必要だから起こった出来事なのだとか
面倒だけど、やり終えたら、気持ちいいかもと思えたり
このことがなければ、道を見失うのかもしれないと

自然と、楽に、構えずに思えるようになったからだと思う。



悪く言えば
深く考えなくなったからかもしれない。

いや、考えすぎなくなったからか。

私は、自分の力量も超えて、
思い上がって考えていたのではないか、
だから、神様が、頑張りすぎるなよと
今、肩の力をほぐしほぐしされているような気がしてなりません。



今の生活①

GOSPELのレッスンも復活している。

ノンクリスチャンがほとんどのクワイアだけれど、
先生がクリスチャンだから、祈りに始まって祈りに終わることが感謝。

賛美を好きなメロディにのってできることも感謝。

普段は???と取られる『私クリスチャンなんです』を
比較的、あっさりと受け止めていただける場であることも感謝。

忙しいという言葉は、つかえないような充実と時間ぎゅうぎゅうの日々です。

乗り越えない

あまり言葉にこだわることは、よしとはしないけれど
『乗り越える』という言葉に最近、違和感を感じるようになってきた。

違和感といっても、だめだめそうじゃない のような感覚ではなくて
乗り越えるという言葉を、抱きしめることが恥ずかしい感覚だ。


過去を乗り越えましたとか
あの出来事を乗り越えましたとか
私は、もう元気です、すっかり乗り越えましたと
宣言することは、うそをついているような、
白か黒か、0%か100%かの極端な思いに
つながるような気がしてならないのだ。

決着はつけなくていいのだ。

私の心だから、様々な出来事を
いろんな思いをもって
いろんな感じ方をして
いろんな視点をもってなされてきたことだから

乗り越えなくていい。

ずっと悲しかったこと
辛かったこと
みじめだったこと
情けなかったこと
せつなかったこと

全部全部抱きしめてていい。
ずっと抱っこしていていいんだ。

抱きしめてぎゅっと愛でていたら、あら不思議。

いつの間にか、これが乗り越えることだと知るような気がする。


乗り越えよう!!
頑張ろう!!
負けるか!!
泣くもんか!!

そんな風に食いしばって進んだ道の先に、
自分を過信している高慢と、プライドの高さを思い知らされる。

乗り越えてきたのじゃない。
通ってきただけだ。

それは、過ぎ去る道となって今の私に続いている。

乗り越えてきたのじゃない。
通りなさいと命令されて
しぶしぶながら、通ってきたけれど

その道は、もう険しくてへとへとで
もうげめんこうむりたいが

けして無駄じゃない道。

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