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頑張りすぎている人は、傷つきやすい

頑張りすぎている人は、傷つきやすいのだそうだ。

言い得てると思う。
過去に私も、頑張った。

夫の過去を拭うために。
夫婦をやり直すために。
自分自身を勇気つけるために。

頑張る頑張る。我慢する。目標に向かう。忍耐する。

自分の範疇を越えてやりすぎるから
心の琴線も、踏ん張るからだも
張り詰めすぎている。

そして、
何か予想外の出来事や
自分の思うとおりのことが起きないことや
小さな誰かの一言で

一気になしくずしになることある。

そして、あなたのせいと叫ぶ。
私はこんなに頑張っているのに、ダメにされたと叫ぶ。



傷つくのは、自分そのものではない。

傷つくのは、自分の想像力のなせる想像の型であって
自分そのものは、まったく傷ついていない。



だから、傷ついていないそのままのありのままの
本質の自分と向き合ってやり直せば、

ゆるく
ゆっくりと
そっと
なめらかに
自然になしていくことができるでしょう。

何の力もない情けない自分が、
まだ消え去らないで残されて
生かされていることを知れば

ああ、
辛いけれど
苦しいけれど
困るけれど

神様だっているんだし、
自分だけが頑張らなくてもいいんだと
知ることができて

ほっとできるから

ため息の深い深呼吸の肩の力抜きができるから
不思議なもんだ。

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コメント


お久しぶりです。

自分の思うとおりのことが起きないことや
小さな誰かの一言で
一気になしくずしに・・・なっていた、最近の私です。
夫婦のことじゃなく、教会のことだったりしますが。

>傷つくのは、自分の想像力のなせる想像の型であって
>自分そのものは、まったく傷ついていない。
なるほどそうだなぁと、大きく気づかされました。
かなり大きな気づきです。

>何の力もない情けない自分が、
>まだ消え去らないで残されて
>生かされていることを知れば

>神様だっているんだし、
>自分だけが頑張らなくてもいいんだと
>知ることができて

知っても知っても忘れて、もがいてしまいますが、
今夜は、すーっと入ってきました。
「神様だっているんだし」
ほっとしています。
ありがとうございます。

ももさん

おひさしぶりです^^

>なしくずし

まぁそんなときもありますよね。
というか、そんなことばかりでうんざりもしますが、
なんだろう?うんざり度合の深さが
暗闇じゃないとの気づきもありますよね。

暗闇だけど、ちょっとあちらに光が見えるって
感じかな^^

>「神様だっているんだし」

・・・これね、「神様がいる」と言えないのは信仰の弱さです。
神様のほかに、夫だって?、子供だって?友人だって?
自分の力だって?お金だって?・・・あるって
言ってるんですよね。

神様を一番にすえられない本当に滅びるに等しいものであるのに
忍耐強く見守ってくださる神様は
すごいです。すごすぎます。




ちかごろ「傷つく」という心の働きにとても関心があり、
この記事がタイムリーに響きました。

傷ついて苦しいからこそ、
その傷のありかと、傷の程度と、どんな傷なのかを、
ようよく見つめなければ、先へ進めないときがありますね...。

その結果、色んなことに気づかされる。
傷つかなければ見えなかったことが見える。
だから傷ついた「おかげ」でもあるし、
「気づいていれば 傷つかない」ということでもあるのだと思います。

>傷つくのは、自分の想像力のなせる想像の型であって
>自分そのものは、まったく傷ついていない。

人間とは、実はそのように(傷つかないように)
つくられているのだと、ちかごろ想像しています。

>だから、傷ついていないそのままのありのままの
>本質の自分と向き合ってやり直せば、

>ゆるく
>ゆっくりと
>そっと
>なめらかに
>自然になしていくことができるでしょう。

この手放しともいえる境地は、
苦しむことの意義をさんざん吟味しつづけた末に
最後の手段として「何も頑張らない」という選択肢を選び取ったときに
訪れるような気がします。

>何の力もない情けない自分 を
とりつくろうことなく「今ここ」に放り出したとき
ものすごく恐れて避けていたその状態が、
実は産湯のように心地よいものだったと初めて気づきました。

これから先も、何回でも、繰り返し繰り返し、味わいたい思いです。

marca-miaさん

いつもありがとう^^

>「気づいていれば 傷つかない」ということでもあるのだと思います。

そもそも傷ってなんなんだと思う。
そもそも傷つくってなんだろうね。

本当は、本質の自分が傷つくことなんてなく
上塗りをした
底上げをした
厚塗りをした
その部分が、はげちゃっただけのことかもしれませんね。

なるほど!^^

>苦しむことの意義をさんざん吟味しつづけた

剥がれてる状態で


>実は産湯のように心地よいものだったと

実は、よけいなものがはがれたのだから
そのままの素を受け入れるのですよね。

うんうん。

本質は傷ついていないです。
傷ついたのは、傷ついてしかるべき、
取り去られるところでもありますね。

こんにちは。
forgiveさんの言葉に力をもらって、
「なしくずし」の状態から少し抜け出せた、ももです。

>「神様がいる」と言えないのは信仰の弱さです。
あぁそうだなぁと、大きくうなずきました。
そして、大きくうなだれました。

「神様だっているんだし」のほうが馴染んでいる私。
それも、もうダメだという時、ギリギリまで追い込まれて、
やっと「神様だっているんだし」です。
そんな自分にはっとしました。

神様のこと信用してないのかな、私。。。
自問自答中です。

ももさん

ベルナノスというキリスト教作家が

『信仰とは90%の疑いと10%の希望だ』
という言葉を残しているそうですが、
私はこの言葉にいつも助けれます。

まじめ?な人やしっかりした人ほど
信仰を100%の確信にせねばというふうに考えやすいようですが
上記のように

90%疑っても、10%希望を持つということが
信仰的な人生かなと思います。

けれど、その10%は一番目に持ってくる。
順番としてね。

<神様だって>と思っているいう
この傲慢な心に気がつくところから
始めれば、まず神様がいてくださる!と思えるところへ
いけるかなぁと思いますよ^^

・・・私はまだまだ赤ちゃんかも^^;
で、ももさんは赤ちゃん返りをしているのかも。
いきつ戻りつしながらも
信仰を強めていくことを学ばせてくださる
神様に感謝しましょうよ^^

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