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絆つくる夫婦⑰品性の相似

心療内科に通い、精神安定剤をもらいます。
薬をもらって飲んでいるうちは
心が安定して、何がしかの気休めにはなります。

鬱や過度の精神の不安に薬は効きますが、
夫との仲まで薬は、取り持ってくれません。

カウンセリングにも行きますが確信がありません。
学問的になされるそのスキルが
万人に相対するもので、私一人のためと思えないからでした。

ちっぽけな私。
夫に浮気される私。
バチのあたった私。
みじめな私。
人生につまづいた私。
誰にも愛されていない私。

口の悪い友人が、
『今までのあなたは、天につばを吐いてきたんだよ。
 それが、今顔にかかってきた。しょうがないよね。頑張るしかないよね。』
と言っていました。

当然と思いました。
だから、夫婦をやり直すために頑張りました。
頑張りすぎました。



***


夫との話し合いもいつまで経っても堂々めぐりのような気がしていました。

この人=夫は、私を助ける気もないし
いや、気はあるようだが、どうにもこうにもバカが先にたって
その技術や手腕はないようだ。

というか、私を救えるのは
はたして、夫なのか?
根本的に私を救うのは夫なのか。
夫が改心して、最高の夫になったら私は、救われるのか?
元気になるのか?
全ては元どおりになるのか?

全ては元通りになるか?


夫がだんだんと私のリクエストに答えることが
できるようになってくると思い通りにことが運ぶ反面、
消せない過去が気になって気になってしかたなくなりました。



**

起こってしまったことはけして消えず
記憶は積まれたままです。

記憶は消えません。

消えない記憶ならそれがためによしとなる何かはないのだろうか?

そもそも何がどうしてこうなったのか?
私を懲らしめるために、夫がうそをついたのか?
私が落ち込んで、体調を崩して、鬱を抱えて
子供や親に心配をかけるためにこうなったのか?
私がダメになって夫が自分の無力さを思い知るために
こうなったのか?


夫は愚かでした。
でも、その夫を支えきれなかった私も
愚かでした。

どこかでブレーキをかけることが
きっとできたであったろうに
誰の手によっても、ブレーキはかけられませんでした。

何のためにこの事件は起きたのか?


考える思いに沈みます。

何のせいでこの夫婦のすれ違いが起きたのかと突き詰めれば
誰が悪い、何が悪いの悪者探しで
それが修復不可能のことであるとしたら
なんと悲しい結末が待っているでしょう。

しかし、何のためにこのことが起きたのかと思い巡らせば、
そのために起きた忌まわしいことも
糧として、肥しとして、土台として
認め受け入れることができるかもしれません。




**





その頃、相当に落ち込んでいて
このままではまずいと思い
偶然に見つけたゴスペルの教室にいくことにしました。




先生が嬉しそうにピアノを弾いています。
さぁ、神様を賛美しましょう。
ゴスペルは、神様を褒め称える歌ですよ。

神様、私を創ってくださってありがとう。
神様、私を愛してくださってありがとう。
神様、私をゆるしてくださってありがとう。

神様、私を支えてくださってありがとう。

私たちは、神様の道具として作られました。
だから、神様のために生きることを教えてください。


**


へぇ、そうなんだ。
なんだかよくわからないけど
もし、神様がいるのなら
私の頑張りをきっと認めてくれているのだろうな。
私の辛いことも、泣きたい気持ちも、しんどいことも
神様、全部全部知っている。

そっか。
夫に頼らなくてもいいんだ。
夫がどんな気持ちであろうと
私の思うとおりにならなくても
私には私の幸せのレールがあるはずなんだと

ほっとするそれが与えられました。
ほっとして、

幸せは、夫にもらうものではない
また、自分で無理やりに作り出すものでもない

何か別の何かがあると考えたりしました。

何かがあるはずなんだ。
だって、何かがなくちゃやってられないじゃん。

どうして、私がこんな目に会うのよ。
いいかげんにしてよ。

いつまでも泣いてばかりいないぞ。
いいかげんにしろ。
くじけるか。
これっぽっちのことでくじけるか。

あなたなしでも生きていけますよ。


**



あなたなしでも生きていく自分と
あなたなしでは生きていきたくない自分
そして、自分ばかりが何よりも大切な自分

いつも自分がまず先に立つ自分。

今まで、私は何のために生きてきたのか?
今まで、私は自分のためだけに生きてきたのか?

私は何のために生きているのか?

自分を大切にする必要はあるけれど
私の場合のそれは、自分そのものの存在価値を大切にするのではなく
自分の我・テリトリー・地位・観念のような奢り高ぶりではないのか。



気づかされて
そうだったと頭を垂れてうなだれた私に
だったら、
夫のばかさ加減は、そんな私にお似合いの
あわせ鏡のようなピッタリの人間なのだと示されて
愕然としました。

夫の品を問うのは
自分の品がどうしようもなく情けないものだから
せめてあなたは品性を保ってとの甘えです。
もしくは、自分の品に何の根拠もない
絶対の自信を持っていて
私は素晴らしい人間ですから
あなたも合わせなさいとする傲慢そのものだと気がつきます。
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コメント


この記事にはつづきがありそうな気がしますが
ここまで読んで、私がこれから書きたいなぁ...と思っていることと、とてもシンクロするような気がしています(思いあがりも甚だしいですが...!笑)。

夫婦は鏡、よく言われる言葉ですが、その内容はとりかた次第ですね。
傲慢さに気づいてそれを捨てられるとすれば、
それは、自己否定感や自己卑下感につながるのではなく、
今までしがみついてきた余計な価値基準や、
変なプライドをうち捨てて、ラク~になっていく道のはずですね。

「自分をかえりみる」という意味のことを書くといつも、
誤解を招かないかと不安になってしまう私です。
forgiveさんはどうですか...?

不安になって、その都度抜き書きして別記事にしたりして、
全体としては矛盾だらけのブログになっているような気がします。
でもきっと真実は、万華鏡のような、曼荼羅のような、混沌の中にこそあるのだから、これはこれで、私の思いに忠実な(?)形になってきてるのかしら...。

いったいお前は何を言いたいのか...?と自分に突っ込むことしきりです(すいません、このコメントもそうですね^^;)。

よそさまのブログで勝手に独り言書いちゃってるし...汗

marca-miaさん

独り言、つぶやき歓迎ですよ^^
世間的にブログの定義があるらしいですが
私はあまりこだわっていないです^^;
だから、ここは記事を通しての掲示板みたいに
してもらってかまわないと思っています。
本当は掲示板を作ったほうがいいのかもしれないけれど
そこまで、手が回らないというのは実情でもありますが。

marca-miaさんのように突き詰めて書いていきたいことと別に
次から次へとこれも大切、あれも大切と
思い浮かんでくることもたくさんです。
それをできるだけ順を追って書いているつもりなのですが、
わかりにくくてすいません^^;

おっしゃる通り、まだ続きます。
というか、夫婦が終わるまで続くのだと思います。
(書くことがゆるされればね)
このカテゴリーでは夫婦がしっくりこなかった時期を
ずっと書いていますが、だんだんと今現在の夫婦がしっくりいくことと重なっていくと思っています。


>自己否定感や自己卑下感につながるのではなく、
>今までしがみついてきた余計な価値基準や、
>変なプライドをうち捨てて、ラク~になっていく道のはずです
>ね。

そうそう^^
余計なものが削ぎ落とされる方向に行っていることが
正解!みたいなね。
正解!はおかしいか。
これが世にいう【ありのままの私】的な
生き方につながるのでしょうね。


>forgiveさんはどうですか...?

あんまり誤解されるかもという懸念はないですね^^

『自分をかえりみる』のは
人それぞれの深みがあって、それはそれは苦しい作業ですが
そのそれぞれの底を見ないとけして、
あがってこれない作業だと思います。
だから、『自分をかえりみる』方向に向かったときに
自己嫌悪や自己卑下をしすぎて
落ち込むことはある意味、必要悪であるとも思っています。

すごく冷たいかもしれないけれど
それは、体験しないと超えられないんだよね。
励ましたり、話を聞いたり、声をかけたり、共にそばにいたり
助けることはできる。
でも、立つのはその人の足じゃなくちゃだめなんだよね。

だから、
>矛盾だらけのブログでなければ
成り立たないのが、真実であるとも思いますよ。

答えになっていませんね。
私も言ってる事があっちこっち行きすぎですね^^;


・・・・人間って、一面じゃないでしょ。
だらしない私
ずるい私
まじめな私
しっかりした私
脆い私

夫も同じですね。

多面的だから時に矛盾も生じますね。
でも、それは矛盾じゃない。人間的なんでしょう。
人間的だから、矛盾した歩みになるみたいね。
でも、うそや裏切りはいやだから、
芯になるものに、何か凛としたきれいなものを据えて
その周りをぐるぐる螺旋で回ってしかも昇っていけるなら
裏も表もあっていいのじゃないかなと思います。

またmarcaです。

ちかごろ、ここでお話させていただくのが心地よいです。
forgiveさんにすっきりとしたお返事をいただいて、
私の心のモヤモヤも、あるべきところに正されたような感じです。
ありがとうございます...!*^0^*

>『自分をかえりみる』のは
>人それぞれの深みがあって、それはそれは苦しい作業ですが
>そのそれぞれの底を見ないとけして、
>あがってこれない作業だと思います。

ああそうだ...そうですね...!
人それぞれに、暗闇の外へ出る道筋は違うのかも知れないけど、
トンネルを引き返すのではなく、くぐり抜けなければ、
向こう側にある未知の場所を見ることはできないですね。
forgiveさんがおっしゃるようにその深みは人それぞれですが、
悩んでいること、問題意識を感じていること、それ自体が、
既にその人の「感じる力」の賜物なんですよね。
だとすればその人にとっては、
そこをくぐる以外の選択肢は無いのかも知れない...と、そう思いました。

私に声をかけてくださる方が増えるにつれて
「責任」のようなものを感じてしまっていたけれど、
だからこそ、矛盾も含めて正直に、
思ったままを書くことが大切なんだと、初心に戻れた気分です。

夫婦関係にあてはめてみても、
矛盾だらけのものを、無理に四角四面な枠に入れようとするのは、
夫婦お互いに、もう散々やってきているんですよね...。
前後関係を見て矛盾をなくそうとするのではなくて、
そのときどきの2人の状態を感じあって、
絶妙なバランスがとれるところを、いつも「今・ここ」に見出していきたい。
それならば終わりはないし、結論もない。
でも気づきのぶんだけ、螺旋を描きながら上昇はしている...ということかなぁ。
...と、私なりの解釈でforgiveさんのコメントを読ませていただきました^^

またとりとめなくなってしまい...。

大事なことを思い出させていただき、
今やりたいこと、できることを、ちょっとずつでも形にしていこう...と、
また思いを新たにしました。

ほんとにいつもありがとうございます*^^*

marca-miaさん

何回も同じことを言ってるかもしれませんが^^
こちらこそです。
コメントでも記事でも気づきをいただくこと
視点をずらせること、もちろん共感することがあって
こちらこそ、感謝しています^^


>既にその人の「感じる力」の賜物なんですよね。

素敵なフレーズです!!

浮気をされてもそれはそれでいいと言う人もいますよね。
反対に気になって落ち込んでしょうがないという人もいますね。


私たちは、幸か不幸かめちゃめちゃ落ち込む輩ですね^^;

感じる心はどうにもこうにもコントロールできない。
だって、感じちゃうんだからしょうがないですよね。
感じないように努力するのは、心を死ぬ方向へ向けているに
等しいのだと思います。
そうではなくて、感じてしまう心を開いて
解放して、何か生み出す方向へと向かわせていくのが
よくも悪くも感じてしまう人間のもつ責任ですね。
賜物=才能・授かり物ですものね。

感じる力の賜物は、生かしてなんぼのものでしょうね^^
生かすためには、産みの苦しみがあるわけで。
しんどいですけどね。


>矛盾も含めて正直に、
>思ったままを書くことが大切なんだと「責任」のようなものを感>じてしまっていたけれど、

うんうん。
責任じゃなくて、責任のようなものですね。
想像します。ネットという特殊な世界でもあるので
文字のインパクトは強いですね。
というか、言葉の力が思わぬ方向にいきがちですものね。

でもそれは、書き手の責任ではなくて
もちろん受けての責任でもなく
全て、想う心・念、祈りのなせるわざと思います。
あ~観念的で何言ってるか、理解しにくいですね^^;

>それならば終わりはないし、結論もない。


夫婦の問題は、表面的には継続か離婚かの選択を迫られるけれど
心の問題は、どこまでもついていきますものね。

話が少しずれるけれど
・・・・今、こうして夫婦関係を継続していますが
一度ゴールを見ているような気がしています。
離婚するとかしないとかじゃなくて
人生のゴールみたいな。
そのゴールに至るまでの、軌跡を思い出し思い出し
辿っているような想いもあります。

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