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2007年11月5日

ブログを再開すべく、パソコンに向かっています。
書き溜めたものを整理していたら、
2007年11月5日付けで、本を枕にースピリチュアルな日々
というブログから文章を抜粋コピーして、保存してありました。


詩篇の黙想

 午前中は、詩篇46編をじっくり各自が読み、黙想の時間を持ちました。

 静まって(やめよ、休止せよ、力を捨てよ)、わたしこそ神であることを知れ(46:10)
を、沈黙の中で繰り返し味わいました。

 私にとってはここ何ヶ月も、神の存在や臨在を、生き生きと感じるというところから遠くにいます。ナウエンも言っていますが、プレゼンス(臨在)とアブセンス(不在)は隣り合わせ。感情的、感覚的な実感が伴わない危機が続いています。
 この聖句を黙想するなかで、「知れ」ということと「信頼(=信仰)」ということに、つながりがあることを想いました。

 感覚や実感が伴わなくても、聖書の言葉は真実であり、神も真実であること。感情や五感は神に近づく大切な手段ではあるが、それに頼り切りでは危機を迎えること。感情や実感が伴わなくとも、神は不変で、普遍であることに信頼することを、静まりの中でじっくりと確認しました。

 配られた資料の中で、心にとまった言葉がありました。

   It is the stop that keeps you going.

 イギリスの道路際の広告にあった言葉だそうです。
「一休みすることが、長旅を続けるこつ」というところでしょうか。

 別なところである言葉を聞きました。最高峰の山に登った有名な登山家に、インタビュアーが言いました。
「そんな高さにまで、どうやったら登れるのですか?」
 登山家曰く、
「ええ、途中、よく休むからです。疲れ切ってしまう前に、休むのです」

 休むこと、ときに中止して静まること、またこれまでの歩みを振り返ることなしでは、人生は平板になり、虚しくなり、神の導きや温かな眼差しも受けとめることができなくなる・・・そんなことを教えられた一日でした。





ああ、そうだった。
そうして、私はしばらく、考えすぎることや、思い煩うことや、悩むことや、
自分の力や能力を過信することを
そして、答えをはっきりと求めることに、せっかちになることを
休んでいいんだと実感できたんだ。


心が何もしないで、休んでいいなんて、なんて素晴らしい時間なんだろう。
そうして、今ここにいて、こんなに安心しています。
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