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意見の一致と感覚の相違

『これ読んでみてよ。』

夫を捕まえて、ある有名作家のブログを読んでもらった。



家族とは、唯一、損得抜きでお互いの面倒を見合う可能性のある集団だ。だから、その家族のなかにおいて起きるすべてのことも含めて、良い悪いは、一般的な他者の目だけで常識にのっとって判断することはできない。そのことに、ようやく思いいたった。

私の義父母は私の家族である。彼らが私の幸せを祈ることも、私が祈られてしまうこともふくめて、私たちは一つの現象のなかで生きている。拘わり合って。

この拘わりのあり方は、他人にはどうしても理解できない部分があるのだ。そして、常識での幸せとか不幸とか、善悪とかを、越えてもなにかしらがお互いのなかで、わかりあい、苦しみつつも触れ合っている。そういう、痛い痛い関係のとり方もあるのだ。医療や精神分析の範疇ではないところで、因業として蠢いているなにかがあるのだ。

もし、私がガンになったら。そして余命を宣告されたら……。私は拘わってほしい。それが支配でもかまわない。自律的に生きろなどと言って、個人を尊重されたりするよりも、ぐちゃぐちゃに私と拘わってほしいと望む。なぜだろう。私もまた依存症の娘だからか。
あなたがいて、わたしがいることを確認したいと思うだろう。そのような弱い人間として、死ぬことはやぶさかでない。私は弱い。一人で死ぬほど強くない。

マニュアルじゃないんだ。知識じゃないんだ。そして他人の経験は参考にはなるが絶対ではない。明日、気づくのを待っていたら死ぬかもしれないとしたら。
今、生きていることを確認するために、人は拘わりを必要とする。
その現実を、経験や知識や医療的なマニュアルが、見損なわせる。

まだ、答えを出さないこと。永遠に答えを出さないこと。
保留しつつ、進む。ひとつずつ。今日できることをする。
わかったふりをするな。絶対に。胆に命じてそれだけは。
マニュアル化しない。なにをされても。どんなに有効であっても。
私は医療者じゃない。私は作家だ。医療の視点に負けるな。のまれるな。
医療的ではない救済がある。それもまた人間の可能性だ。
救済は一つではない。そもそもないかもしれない。それでもいいのだ。
近くと遠くを同時に見ること。善悪に毒されるな。
二つのことに、またがって、両方を見たい。
答えを出さないこと。安易に。
精神医療に頼らない。最後の見極めは自分でする。
そんな強い決意をしないと、医療に屈服してしまいそう。
人間なんだ。間違ってもいいんだ。わかったふりをしないこと。
何度でも自分に言い聞かせないと、親身で優秀な医療者の意見に自分を見失いそうだ。
医療者は経験も知識もあるが、第三者だ。だからできることがある。同時にだから見失っていることもある。絶対ではない。
医療行為としては失敗しても、その家族にとってどうかはわからない。なぜなら医療者は家族ではないから。他人だから。
私は兄が自死したときも、医療者の意見を鵜呑みにした。自分の実感より優先した。兄が死んだことはそれが原因ではないけれど、でも、あれでよかったとは思えない。
冷静に意見は意見として聞きつつも、自分で判断しなければと思う。
たとえそれが「間違いだ」と人に指摘されても、いいのだ。
人間は間違える存在だ。これは、自分のための人生だ。自分が間違えて進まなければ何も学べない。
未熟でもいいんだ。バカでもいいんだ。自分の実感を抱きしめていないと、けっきょくは頭でっかちのマニュアル人間になって、いつか小説すら書けなくなり、人生論なんか出版するようになる。





『どう思う?』



『僕には無理だな。
 無理って言うか、しない。

 医療に関する云々は別として、自分の第六感みたいなものを
 押し出してかかわっていくという感覚はない。というか
 したくない。総合的な対応ができなくなると思う。』



『ふーん、そう。そうなんだ。いつもなら、あなたのことを、
 冷たいって感じるんだけど、そういう人なんだって思うだけだなぁ。』



『男らしさ、女らしさの違いかも。』


『意見の一致と感覚の一致は、違うものね。
 ○ちゃん(娘)のことに関して、意見の一致は必要だけれど
 感覚は一致しないほうがいいのかもね。』


『うん。せっかく夫婦で、父親母親なんだから
 違う視点がないと、バランス悪くなるだろう。』


『でもさ、私はこのコラムの思いだわ。
 拘わってなんぼのもんでしょう。そして、見守るっていいながら
 自分が傷つくのが怖いから、傍観しているあなただと思う。
 あなたは、第3者だなぁと私は感じるよ。
 冷静とか、冷たいのじゃない。すごく思いやってるし
 すごく心配しているし、すごく寄り添おうとしているよね。
 でも、第3者なの。
 いやとかいいとかじゃなくて
 さびしいとか悲しいとかじゃなくてせつないわけでもないけれど
 ああ、この人は第3者だと思うときがある。』



『そうか。』



『いや、違うな。第3者っていうか
 母性と父性の違いなのかな。私は、○ちゃんと共にあろうとする
 気持ちが強すぎるのかな?そして、あなたは、見守ることに距離を
 置き過ぎているかな?』


夫に腹も立たないし、過度の期待もない。
冷静でしっかりした人だとの認識はあるけれど
なんだかもどかしい感じ。

娘が病んでいる。
そのことに関して、夫婦が親として向かうことを
二人は全力を傾けている。

でも、何かがしっくりしない。
夫が過去に浮気をしたことなんてどうでもいいんだ。

私が、母親として至らないことを
夫に指摘してほしいのかもしれない。

夫の足りないところを進言する私に
夫は、素直にうなづくだけで私には何も返してはこない。

私はどうすればいいのか。
私は何をすればいいのか。

いつも自分で考え、自分で工夫し、自分で進めてきた気がしてならない。冷静に振り返れば、そんなはずはなく、夫は私に注意をうながしたり、進言することもあった。



指示待ち中なのか。見守るってなんだ。
その指示がでるのを待ちきれなくて、見切り発車をしそう。

私は、きっと参っている。
そのことに、すっかり侵されて夫が参っていることは
どうなのかもわからないと思う。
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