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余地

リボンさんの記事、『がんばれ・・・ということ・・・』を読んで
鬱経験者からのお願い~頑張れっていわないでねの記事を以前に書いたことを思い出した。
(注!リボンさんのそれは、セックスレス関連だから
 鬱病の人にかける言葉とは、まったく別です。)

その過去記事を読むと、弱っていたなぁ私、と思う。
まぁしょうがない。そんなときもあるわと、笑い飛ばす。
笑い飛ばすし、冗談にもするし、
よく、頑張った!これからも頑張れ自分と、
自分に自分で頑張れと言えるようになった。





ネットをさまよっていたら
こんな文章を見つけた。

そこから一歩一歩前に進んでいくためには、
何人もの人の手助けが必要で、
抱きしめて一緒に泣いてくれる人も、
突き放し叱ってくれる人も、
冗談言って笑わせてくれる人も、
サバサバと笑い飛ばしてくれる人も、
一緒に右往左往してくれる人も、
何も言わずにそばにいてくれる人も、
本当に色々な人が必要で、大切なことは、
そのたくさんの役目を一人の人間が負うというのは不可能だということ。
それをきちんと認めること。
『おぐにあやこの行った見た書いた』より

助けてもらった、支えてくれた、慰められた手は数知れず、
誰か一人がこうしてくれたからとはありえない。
一人の人に重きを置くことは依存するに似たりだと思う。

時にかなった助け手や言葉を運んでくれる人を
送ってくださった神以外ないだろうと
全ての最善に感謝するしかない。



また、今、自分自身の苦しみを抜けた今、
苦しんでいるその人に向ける姿勢と言葉を選ぶときに


>大切なことは、そのたくさんの役目を一人の人間が負うというのは
>不可能だということ。 それをきちんと認めること。


自分が苦しんだところを通り抜け、立ち直った分だけ
今、苦しむ人の助けになりたいという思いは
けして、不純ではないけれど

私がこうしたから、あなたも大丈夫も思想の押し付けになりがちだ。
それは、中身のない共感、頭だけの理解、無神経な励ましにならないようにと、
自分にきつく言い聞かせる。

そして、
夫のことだから私が
妻のことだから僕が
子供のことだから親が
親友のことだからと私が

と、一人で全てを背負う必要はない。

自分の背負う分だけを背負えば
後は、どう手放すかが、本当に大切なことだと思う。

手放した先に、神様の働く余地ができる。
神様の働く余地とは、
何かすることのできるわずか部分であり、
残されている可能性の満ちているところだ。




追記*もうひとつ過去記事をリンクします。

ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
                 
           ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)






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コメント


励まし

文頭に、自分の名前を発見して、おもわず、のけぞってしまいました(笑)
リンク、ありがとうございます

そうですね。。。私も、鬱の方に「頑張れ」は禁物なのだと思います
(その点について、私の為に一文を添えていただき、その細やかなお心遣いに、感謝しています)

私の「頑張れ」は・・
頑張れなかった(諦めてしまった)自分への後悔からの「頑張れ」なのかもしれませn
そして、だれよりも、10年前の自分に言いたくて、言ってるのかもしれません。。。

>そのたくさんの役目を一人の人間が負うというのは不可能だということ。
自分は、すべてではなく、一部にすぎないんだ・・ということなんでしょうね。。
私も、悩みの中にあるときに、たくさんの方の気持ちと言葉に支えられました
同じ悩みを持つ方、全く反対の立場の方・・・
そのどれが欠けても、ダメだったと思います
必要なものが、必要に応じて、与えられたのだと・・感じています

>私がこうしたから、あなたも大丈夫も思想の押し付けになりがちだ。
そうですね。。。
forgiveさんの言葉には、いつも、他者への思いやりと、ご自分への厳しさを感じます
こういう文章が書けたらいいなあ~~と憧れるだけのわたしです・・(汗)

以下、あくまでも、私の場合ですが。。。
私も、同じ悩みを持つ方々の何か力になれれば・・と、記事を書くことがあります
でも、もしかすると。。
ブログを始めた頃、自分の過去の経緯を、つたない文章で、ただ淡々と綴った
あの記事こそが、一番の励ましになっているのかもしれないな・・・なんて思ったりもするのです

相変わらずの長文、失礼しました(汗)
リンク、ありがとうございました♪

痛みを経験し、そこから回復されたからこそ知った気づきなんですね。
frogiveさんの文章を読むと「ああそうなんだ。そうなんだよね。」ってうなずいてしまいます。
今回も、自分のことも内省して、誰かに対して無神経な言葉をかけたかもしれないな・・なんて思いました。自分の危機が過去になっていくと心もずいぶん鈍くなってきます。

誰かの助けになりたいと思っても、では何ができるか?何をしてはいけないのか?難しいものです。
そうかぁ。
神さまの余地があったのですね。
クリスチャンにとって、自分に手助けできる力が無いとしても、主に祈ることができると言うことが自分にとっても大きななぐさめなんだと気づかされました。
ありがとう。

長いコメント、好きですよ^^
いつもありがとうございます。

その中からここをピックアップさせてくださいね。

>ブログを始めた頃、自分の過去の経緯を、
>つたない文章で、ただ淡々と綴った
>あの記事こそが、一番の励ましになっているのかも
>しれないな・・・なんて思ったりもするのです

私もそう思うことがあります。
思いや考えはもちろんあったけれど
自然な形で、無理やりじゃなく、かと言って
湧き上がるとか、そんな熱情的なものじゃなく

【ただ書くだけ】みたいなね。
無我(そこまで大げさじゃなくても)に近いような
気持ちで書いているから、じゃまなものがないのかもしれませんね。

トラックバックしたかったのですが^^;
アメブロは機能なかったので、リンクさせていただきました。ありがとうございます^^

pison さんへ

pisonさん

コメントありがとうございます^^

>主に祈ることができると言うことが自分にとっても
>大きななぐさめなんだと気づかされました。

祈ることは、神様が働いて、祈られる側だけでなく
祈る側をも、祝し、守り、立ち上げてくださることを
私も実感します。
ああ、神様に出会えて本当によかったですね^^

トラックバックさせて頂きました。

こんばんは。
勝手ながらトラックバックさせていただきました。
また、私のブログでもご紹介させて頂きました。

ニーバーという方の言葉、
ちょっと前に私も違うルートで出会いました。
とても好きな言葉です。
この言葉に出会ったから、
今のステージに進むことが出来たといっても
過言ではないくらい。

forgiveさんのブログはいつも拝見しています。
これからも宜しくお願いします。

ノエさんへ

ノエさん

トラックバック、ありがとうございます。
どうぞ、遠慮なくリンク等してください。

この祈り(詩?)は、本当に心に沁みますね。
私も、せまくなりがちな視点を開き、違った角度から見る助けをもらいましたよ。

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静穏の祈り

私には変えることの出来ないものを受け入れる静穏な心、変えることの出来るものを変える勇気、両者の違いを見分ける知恵が備わっている。『誰でもできるけど ごくわずかな人しか 実行していない成功の法則』This is your life, not a dress rehearsalJim Donova

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