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乗り越えない

あまり言葉にこだわることは、よしとはしないけれど
『乗り越える』という言葉に最近、違和感を感じるようになってきた。

違和感といっても、だめだめそうじゃない のような感覚ではなくて
乗り越えるという言葉を、抱きしめることが恥ずかしい感覚だ。


過去を乗り越えましたとか
あの出来事を乗り越えましたとか
私は、もう元気です、すっかり乗り越えましたと
宣言することは、うそをついているような、
白か黒か、0%か100%かの極端な思いに
つながるような気がしてならないのだ。

決着はつけなくていいのだ。

私の心だから、様々な出来事を
いろんな思いをもって
いろんな感じ方をして
いろんな視点をもってなされてきたことだから

乗り越えなくていい。

ずっと悲しかったこと
辛かったこと
みじめだったこと
情けなかったこと
せつなかったこと

全部全部抱きしめてていい。
ずっと抱っこしていていいんだ。

抱きしめてぎゅっと愛でていたら、あら不思議。

いつの間にか、これが乗り越えることだと知るような気がする。


乗り越えよう!!
頑張ろう!!
負けるか!!
泣くもんか!!

そんな風に食いしばって進んだ道の先に、
自分を過信している高慢と、プライドの高さを思い知らされる。

乗り越えてきたのじゃない。
通ってきただけだ。

それは、過ぎ去る道となって今の私に続いている。

乗り越えてきたのじゃない。
通りなさいと命令されて
しぶしぶながら、通ってきたけれど

その道は、もう険しくてへとへとで
もうげめんこうむりたいが

けして無駄じゃない道。
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絆つくる夫婦のために(33)怒りについて④

ブログ再開にあたり、過去に書いて公開していないものや
コピーしてきたものを整理しています。

以下、色文字になっているところも他サイトからの引用です。
2007年6月27日に作業していました。
前回の記事から、また横道にそれてしまって
もし、続けて読んでくださる方があれば
わかりにくくなってしまうかもしれませんが
何かのヒントになるかもしれません。

とても良いことが書いてあるので、UPしておきます。


********************
水澤都加佐の「自分を好きになる言葉」【66】そのまんまブログ より

怒っているあなた
どうして、そんなに怒っているの?
何かを失ったのですね
だったら、本当は悲しいのではないのですか
もしかしたら、きっとそうだって、わかっている?
でも、悲しむのがつらいから
一生懸命、怒りながら
必死にこらえようとしているのではないのですか?
「私は、悲しいんだ」って言ってもいいのに
そう言えば、きっと涙が出て、悲しみを実感できるのに
悲しみを悲しみとして感じれば
もっと早く楽になれるのに
大丈夫、どんなに悲しくても
いつか悲しみは癒されるから
悲しみでどんなにあなたが取り乱したって
あなたの周りに、あなたの悲しみをわかってくれる人たちが
きっといるのだから


聖書に
『悲しむ者は幸いです。
その人は慰められるからです。マタイの福音書5:4』
との言葉があります。
胸の奥のほうにほっと浮かんできました。




怒りの原因て考えたことありますか?
怒りにはいろんな原因と種類があるわけですが、その中でも相手が本当に悪い場合と、単に相手が自分の期待通りにならないことへの不満という怒りがあります。

アダルト・チルドレンや依存症者・共依存の人々から聞く話は、後者の意味合いが多く含まれているように感じます。
その怒りを深く掘り下げいていくと、実はその相手に期待や甘えがある場合があります。通常より何倍も他人への依存度や期待や甘えが強いAC(引用者注:アダルトチルドレン)ですから、それも当然です。

自分をわかって欲しい、認めて欲しい、愛して欲しい。自分は可哀想なACだから、自分は傷ついているから。だから誰かに、信頼した人間には受け止めて貰いたい。そういう甘えが自分の中にある。
だから「自分が信頼を寄せた相手」には一方的に甘え、依存し、理想化する。相手のことは一切無視して。
過剰な期待があるから裏切られるたびにハラが立つし、愚痴や不満になるわけです。これは相手だけが悪いんじゃない。
これに気が付かず相手に怒りをぶつけている限り、相手はあなたの意見に聞く耳を持たないでしょう。

相手のことを理解せずに自分のことは理解して欲しいという要求は子供の考え方です。
ここで間違えないで欲しいのは、【相手のことを理解する】ってことは、「相手を全て受入れるから、おあいこで自分のことも受入れてくれ」ってことではありません。
【相手が自分の考えを理解してくれているかどうか】【自分は相手の考えを理解しているか】であり、【自分は相手の考えに同意できるかどうか】であり、【合わなければ諦める】という自立した考え方が必要です。


しかし怒りは悪いものじゃない。
怒っていいことと、怒らなければならないことがあることと
理不尽に怒ることを区別しなければなりません。



********************


しかし、怒りは悪いものじゃない。
怒っていいことと、怒らなければならないことがあることと
理不尽に怒ることを区別しなければなりません。




この3行は、意味深いですね。
しかし、怒りの区別ができないときは
往々にあって、長いトンネルを歩くことはさけられません。

それが、配偶者の裏切りを乗り越えるために
2年3年とかかる所以です。

人はそれぞれにトンネルの長さが必要です。

トンネルの闇は、
自分を見つめなおし
夫を見つめなおし
そして、二人を見つめなおすことができます。

自分を吟味することができれば、
いえ、できなくともその積み重ねで
心砕かれていけば、きっと怒りは収まります。

素晴らしい休日

神奈川県に住んでもう10年以上になりますが
歩きたい、行ってみたいと思っていた道へやっといくことができました。

画像はその道、朝比奈切り通しです。
鎌倉幕府時代の約800年前の道そのままです。

20080619231046


電車とバスで切り通しの入り口まで。
そこからは、歩きます。
切り通し自体は、ほんの30分ほどで歩ける道でした。
ハイキングと言うには、物足りません。


200806200136112



夫と二人、鎌倉まで足を伸ばすことにしました。

バスや電車に乗るのがなんとなく悔しいような感じで
八幡宮までの道のりを約1時間歩くことにしました。

八幡宮まで来ると、もうあと一息で、紫陽花で有名な長谷寺です。

ここもまだ、一度も行ったことがなかったので
もう少しだけとがんばって足を進めました。

20080620015608



紫陽花は、一番の見ごろで、長谷寺は人で溢れかえっています。
入場制限もしていました。



夫『ディズニーランドみたいだなぁ。並んでるよ。』

私『でも、年齢層がかなり高いよ。』

夫『そうだなぁ』

私『年配の人か、修学旅行生ばっかりじゃん。
  働き盛りの、あなたぐらいの男性はいないね。』

夫『そうだろうさ。ははっはは。休みだからねぇ。』

私『会社さぼってるのは、この山ぐらいの人のなかで、あなただけだね。』

夫『さぼってるんじゃないの!休暇だよ!』






紫陽花を堪能して後、またてくてくと
鎌倉の駅へ戻ります。

往復でざっと15Kは歩いたかな。
素晴らしい休日でした。梅雨の晴れ間をこんなにも享受したのは、
初めてかもしれない。


素晴らしい休日は、悩んだ日々があったからこそといつも感謝します。
ますますありがたく、嬉しい、楽ちんな時間でいっぱいでした。

20080620013611

障碍と派遣者

昨年から、仕事に出るようになり、
日々が充実し、また、肉体的にも疲れもあって
ブログを書くことがなかなかできませんでした。

職場は、重度知的障がいの方たちのための作業所です。
週3日ないし4日の非常勤職員です。

働く曜日と、日数と、時間などの条件だけを設定して
業種は何も考えずに探していったのに
こんなに恵まれた職場を与えられて、神様に感謝せずして
何に感謝すればいいのかしらという日々です。

能力的に、また知的に、劣るとされている
そして感情面のコントロールもままならないような方たちの
その生き様にいつも感動します。
感動もするし、そして何よりも心励まされ、助けられます。


障がいとは、いったいなんだろう。
ただの個性なのだと、その人のそれぞれの神様からの賜物なのだと
身をもって学ぶことができて、日々がいつもあらたにされていっています。

聖書から、全巻を通して『ありのままでいい』とか
『完璧じゃなくても、神様に愛されている私』を
何度も何度も学んできましたが
その最もわかりやすい具体的なことを
目の当たりにさせていただいて、毎日ハレルヤと吠えたい気持ちです。

障害の害は、妨げになるものとの意味から、害ではないのだ
得たものが立ち止まっているとして障碍との字を使う意味が
わかるような気がしています。


*********


娘は、うつ病と診断されています。
もちろん、病気であるし、本来の彼女を妨げているもので
あるのでしょうが、彼女の持って生まれたもの、また
私の育て方・環境など、様々なことが
加味されて、今にいたっていると認識します。

母親の担う、その原因になった部分は、
私も本当に申し訳なく、辛く、悔やみますが
くよくよしていても始まらないので
改めるべきところは、改めていこうと努力しています。

そして、何よりも神様が授けた彼女の今のあるがままの状態として
受けとめたり、見据えたりすると
それは、けして、ちっとも害だと思わなくていいんだと
思えるようになりました。


この「逆転」は、神の御霊のしるしです。
貧しい人々は富んだ人々へ、黒人は白人へ、
障害をもつ人々は「健常者」へ、ゲイの人々はそうでない人々へ、
死にゆく人々は生きている人々へ派遣されているのです。
この世が哀れな犠牲者とみなしてた人々を、
神様は喜ばしい知らせの担い手をして選ばれました。

『いま、ここに生きる』ヘンリ・ナーウェンより

2007年11月5日

ブログを再開すべく、パソコンに向かっています。
書き溜めたものを整理していたら、
2007年11月5日付けで、本を枕にースピリチュアルな日々
というブログから文章を抜粋コピーして、保存してありました。


詩篇の黙想

 午前中は、詩篇46編をじっくり各自が読み、黙想の時間を持ちました。

 静まって(やめよ、休止せよ、力を捨てよ)、わたしこそ神であることを知れ(46:10)
を、沈黙の中で繰り返し味わいました。

 私にとってはここ何ヶ月も、神の存在や臨在を、生き生きと感じるというところから遠くにいます。ナウエンも言っていますが、プレゼンス(臨在)とアブセンス(不在)は隣り合わせ。感情的、感覚的な実感が伴わない危機が続いています。
 この聖句を黙想するなかで、「知れ」ということと「信頼(=信仰)」ということに、つながりがあることを想いました。

 感覚や実感が伴わなくても、聖書の言葉は真実であり、神も真実であること。感情や五感は神に近づく大切な手段ではあるが、それに頼り切りでは危機を迎えること。感情や実感が伴わなくとも、神は不変で、普遍であることに信頼することを、静まりの中でじっくりと確認しました。

 配られた資料の中で、心にとまった言葉がありました。

   It is the stop that keeps you going.

 イギリスの道路際の広告にあった言葉だそうです。
「一休みすることが、長旅を続けるこつ」というところでしょうか。

 別なところである言葉を聞きました。最高峰の山に登った有名な登山家に、インタビュアーが言いました。
「そんな高さにまで、どうやったら登れるのですか?」
 登山家曰く、
「ええ、途中、よく休むからです。疲れ切ってしまう前に、休むのです」

 休むこと、ときに中止して静まること、またこれまでの歩みを振り返ることなしでは、人生は平板になり、虚しくなり、神の導きや温かな眼差しも受けとめることができなくなる・・・そんなことを教えられた一日でした。





ああ、そうだった。
そうして、私はしばらく、考えすぎることや、思い煩うことや、悩むことや、
自分の力や能力を過信することを
そして、答えをはっきりと求めることに、せっかちになることを
休んでいいんだと実感できたんだ。


心が何もしないで、休んでいいなんて、なんて素晴らしい時間なんだろう。
そうして、今ここにいて、こんなに安心しています。

いい奴

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ねこは相変わらずいい奴です。
私が寝ていると必ず、そばに来る。

この子が、子猫の時には
私は在宅の仕事をしていて、いつも一緒にいた。

そのすりこみが今も生きているのか、
私が落ち着くと必ずそばにくっついてくる。
座るときも、テレビを見るソファでも
昼寝でも、夕寝でも、もちろん夜も。

えさは、娘や夫がよくあげているのになぁ。
本当にかわいい奴です。いい奴です。
12Kもkeepです。

******************


ということで、久々の記事です。
記事書きの復帰リハビリ中。

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