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投稿ミス

20070728030101.jpg


昨晩深夜、3時に投稿したものが、あら?画像だけ。

愛する猫が、本当にかわいく愛らしく
カメラに収まったので、とりあえずUPしておいたものです。

文章は、また明日と思って、下書きにして閉じたつもりだったのになぁ。
だから、今は、7月29日の午前11時過ぎです。


*****

写真のテーブルの上に、うっすらとほこり。
肉眼では角度のせいか、光の加減か見えませんでした。

猫の毛並みのふわふわぼさぼさ加減も
現実に見るよりも、よりその程度がUPしているような気がします。

私のようなど素人カメラ係でも、
そんなところが見える画像を残せるなんて
世の中の真実は、もしかすると過剰に伝えられてるとも
思いはせたりします。

いやいや、実は単純によんどろこない不可抗力(歳のせいといいたくない)
視力の低下によるだけなのかもしれませんけどね。



20070728114824.jpg

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通らねばならぬ

十字架の聖ヨハネの祈り

すべてに喜びを持つに至らんためには、
何事にも喜びを持とうと望んではならぬ。

すべてを所有するに至らんためには、
何物をも所有しようと望んではならない。

すべてとなるに至らんためには、
何物かになろうと望んではならぬ。

すべてを知るに至らんためには、
何物をも知ろうと望んではならぬ。

汝が喜びの境地に達せんためには、
汝は喜びのない道を行かねばならぬ。

汝が知らざるものに達せんためには
汝は知らざる道をいかねばならぬ。

汝が所有せざるものに達せんためには、
汝は所有せざる道を行かねばならぬ。

汝が汝でないものに達せんためには、
汝は汝でないものに達せんためには、
汝はなんじでないものを通らねばならぬ。



きびし~~~いい。
でも、ごもっとも!

今、望まないぜひ避けて通りたい道に踏み込んでいると感じている。
様々にスキルや手段を手に入れても
心の平安はそうやすやすと得られるわけじゃない。
根っから右往左往してばかりだ。

欲しいのは、単純に目に見える回復や乗り越えじゃない。
もし、それだけなら
また次に何かがやってきたときに、それは揺らいでしまうだろう。


欲しいのは、どんな環境にあっても
表面で、泣いても、嘆いても、苦しんでも
その底の底に滾々と絶えることなく
湧き出る希望と平安だ。


そのためにはと
こんなにはっきりと逆説的に厳しく振りかけられると
ああそうですか、そりゃあ恐れ入りましたと
頭を垂れるほかなし。

コウベヲタレルホカナシ。

そのへそ曲がりだったつむじに神様は、恵みをくださるかな。

もうひとつ他ブログから

またもうひとつ、ある有名作家のブログを
紹介したものから。


「君は単純でバカだから、他人の目的主義にすぐ汚染されて、他人の欲望と自分の欲
望を混乱させるんだよ。そして、欲望や目的を見失うか、挫折するか、あるいは達成
してしまうと、よく鬱になってる」


「はっきり言うなあ……」


「友達だからね」


「じゃあさあ、悔しまぎれに聞くけど、あんたは自分の人生に目的をもたなくても生
きていけるわけ?」


「もちろん。目的はないね。その都度の目標みたいなものは便宜上あるけど。例えば、
明日までの原稿を仕上げようとか、完成度の高い仕事をしようとか。だけど、そのた
めに生きようとは思わない。君は違うでしょ。よく思ってない?良い仕事をすること
が人生とか、書くことが人生とか……」


「う……っ」


「いちいちそういう風に考えると憂鬱になるのよ、人は。だってね、人間は宇宙に開
かれた相互エネルギーシステムみたいなものなんだよ。単独で目的なんかもてないよ
うにできてる。それを閉じて自己目的に慢心する人は脳内が過剰になってるから、気
圧の影響を受けやすい」


「ううううっ。実に偉そうだけど、じゃあ、あんたはどうやって生きてるわけ?」


 なんだか真実ばかり指摘されるのでだんだんムカついてきた。


「僕は、ようするに自分の中のエネルギーを安定させることに労力を使ってるね。毎
日、ヨガで精神安定させてるし、嫌な奴に会った時は風呂に塩を大量に入れて禊した
りね。音楽や光や香りでなるべく自分の中に過剰になるエネルギーを押さえている。
この世界はエネルギー過剰だからね、みんなそれでヤラれてる。」






乗り越えようとか、立ち直ろうとか
できないときはしないに限ると、最近よく思う。

だめなものは、ダメでよし。
できないことは、できないでよし。
いやなことは、いやでよし。
きらいなものは、きらいでよし。

がんばりすぎが、全てを潰すから
がんばらなあ~~~~い。
がんばりません宣言。


だって、私には無理なんですもの。

但し、今は。
生きるには時がある。


****

出張の夫からメール

『君からのメールを何度も読み返しています。
 僕も仕事でいっぱいいっぱいですが
 なんとか頑張って、踏ん張っています。
 子供たちの様子はどうですか。
 祈っています。』



彼の真剣な態度にうんざりしている。
これはこれで、ちゃらんぽらんなどうにかなるよ的なメールが着たら
腹がたつのだろう。
でも、今私に欲しいのは、ちゃらんぽらんさだ。

どうにかなるから、なるようになるから
今できることだけ、したいことだけ
今必要なことだけしていけばいいよ。

無理するな。の言葉を私は欲しいのだ。

無理しなくちゃならないときには無理せざるを得ない。
その無理は、無理でなくて当たり前だ。

今は無理してるのか、さぼっているのか
がんばっているのか、あきらめているのか
なんだかわからなくなってきている。

だから、気持ちをニュートラルな状態にしていきたいなと思う。







>僕は、ようするに自分の中のエネルギーを安定させることに労力を使ってるね
>この世界はエネルギー過剰だからね、みんなそれでヤラれてる。




そうだよなぁ。
心を平安にすれば、自然とエネルギーは湧いてくるというもの。

頑張るぞ!!!
踏ん張るぞ!!
乗り越えるぞ!!

の時期じゃないときに、そうしているから、結果がすぐ欲しくなるんだ。


***


明日は、日曜日。
教会で礼拝だ。
そう思ったら以前心に残った

『主の前で静まれ。』なんていう聖書の言葉が頭をよぎる。

今の辛さは、乗り越えられないかもしれない。
いや、乗り越えなくてもいいものかもしれない。

ずっと抱えて、ずっと抱きしめて
私の人生は、きらきら輝いていない。
ある程度、暗いもの。
それでも、生かされているからいいかと
そのことにありがたいと、たくましく笑えることが
そのうちやってくるような気がする。

意見の一致と感覚の相違

『これ読んでみてよ。』

夫を捕まえて、ある有名作家のブログを読んでもらった。



家族とは、唯一、損得抜きでお互いの面倒を見合う可能性のある集団だ。だから、その家族のなかにおいて起きるすべてのことも含めて、良い悪いは、一般的な他者の目だけで常識にのっとって判断することはできない。そのことに、ようやく思いいたった。

私の義父母は私の家族である。彼らが私の幸せを祈ることも、私が祈られてしまうこともふくめて、私たちは一つの現象のなかで生きている。拘わり合って。

この拘わりのあり方は、他人にはどうしても理解できない部分があるのだ。そして、常識での幸せとか不幸とか、善悪とかを、越えてもなにかしらがお互いのなかで、わかりあい、苦しみつつも触れ合っている。そういう、痛い痛い関係のとり方もあるのだ。医療や精神分析の範疇ではないところで、因業として蠢いているなにかがあるのだ。

もし、私がガンになったら。そして余命を宣告されたら……。私は拘わってほしい。それが支配でもかまわない。自律的に生きろなどと言って、個人を尊重されたりするよりも、ぐちゃぐちゃに私と拘わってほしいと望む。なぜだろう。私もまた依存症の娘だからか。
あなたがいて、わたしがいることを確認したいと思うだろう。そのような弱い人間として、死ぬことはやぶさかでない。私は弱い。一人で死ぬほど強くない。

マニュアルじゃないんだ。知識じゃないんだ。そして他人の経験は参考にはなるが絶対ではない。明日、気づくのを待っていたら死ぬかもしれないとしたら。
今、生きていることを確認するために、人は拘わりを必要とする。
その現実を、経験や知識や医療的なマニュアルが、見損なわせる。

まだ、答えを出さないこと。永遠に答えを出さないこと。
保留しつつ、進む。ひとつずつ。今日できることをする。
わかったふりをするな。絶対に。胆に命じてそれだけは。
マニュアル化しない。なにをされても。どんなに有効であっても。
私は医療者じゃない。私は作家だ。医療の視点に負けるな。のまれるな。
医療的ではない救済がある。それもまた人間の可能性だ。
救済は一つではない。そもそもないかもしれない。それでもいいのだ。
近くと遠くを同時に見ること。善悪に毒されるな。
二つのことに、またがって、両方を見たい。
答えを出さないこと。安易に。
精神医療に頼らない。最後の見極めは自分でする。
そんな強い決意をしないと、医療に屈服してしまいそう。
人間なんだ。間違ってもいいんだ。わかったふりをしないこと。
何度でも自分に言い聞かせないと、親身で優秀な医療者の意見に自分を見失いそうだ。
医療者は経験も知識もあるが、第三者だ。だからできることがある。同時にだから見失っていることもある。絶対ではない。
医療行為としては失敗しても、その家族にとってどうかはわからない。なぜなら医療者は家族ではないから。他人だから。
私は兄が自死したときも、医療者の意見を鵜呑みにした。自分の実感より優先した。兄が死んだことはそれが原因ではないけれど、でも、あれでよかったとは思えない。
冷静に意見は意見として聞きつつも、自分で判断しなければと思う。
たとえそれが「間違いだ」と人に指摘されても、いいのだ。
人間は間違える存在だ。これは、自分のための人生だ。自分が間違えて進まなければ何も学べない。
未熟でもいいんだ。バカでもいいんだ。自分の実感を抱きしめていないと、けっきょくは頭でっかちのマニュアル人間になって、いつか小説すら書けなくなり、人生論なんか出版するようになる。





『どう思う?』



『僕には無理だな。
 無理って言うか、しない。

 医療に関する云々は別として、自分の第六感みたいなものを
 押し出してかかわっていくという感覚はない。というか
 したくない。総合的な対応ができなくなると思う。』



『ふーん、そう。そうなんだ。いつもなら、あなたのことを、
 冷たいって感じるんだけど、そういう人なんだって思うだけだなぁ。』



『男らしさ、女らしさの違いかも。』


『意見の一致と感覚の一致は、違うものね。
 ○ちゃん(娘)のことに関して、意見の一致は必要だけれど
 感覚は一致しないほうがいいのかもね。』


『うん。せっかく夫婦で、父親母親なんだから
 違う視点がないと、バランス悪くなるだろう。』


『でもさ、私はこのコラムの思いだわ。
 拘わってなんぼのもんでしょう。そして、見守るっていいながら
 自分が傷つくのが怖いから、傍観しているあなただと思う。
 あなたは、第3者だなぁと私は感じるよ。
 冷静とか、冷たいのじゃない。すごく思いやってるし
 すごく心配しているし、すごく寄り添おうとしているよね。
 でも、第3者なの。
 いやとかいいとかじゃなくて
 さびしいとか悲しいとかじゃなくてせつないわけでもないけれど
 ああ、この人は第3者だと思うときがある。』



『そうか。』



『いや、違うな。第3者っていうか
 母性と父性の違いなのかな。私は、○ちゃんと共にあろうとする
 気持ちが強すぎるのかな?そして、あなたは、見守ることに距離を
 置き過ぎているかな?』


夫に腹も立たないし、過度の期待もない。
冷静でしっかりした人だとの認識はあるけれど
なんだかもどかしい感じ。

娘が病んでいる。
そのことに関して、夫婦が親として向かうことを
二人は全力を傾けている。

でも、何かがしっくりしない。
夫が過去に浮気をしたことなんてどうでもいいんだ。

私が、母親として至らないことを
夫に指摘してほしいのかもしれない。

夫の足りないところを進言する私に
夫は、素直にうなづくだけで私には何も返してはこない。

私はどうすればいいのか。
私は何をすればいいのか。

いつも自分で考え、自分で工夫し、自分で進めてきた気がしてならない。冷静に振り返れば、そんなはずはなく、夫は私に注意をうながしたり、進言することもあった。



指示待ち中なのか。見守るってなんだ。
その指示がでるのを待ちきれなくて、見切り発車をしそう。

私は、きっと参っている。
そのことに、すっかり侵されて夫が参っていることは
どうなのかもわからないと思う。

間借り

128423.jpg


カウンセリングを受けに、渋谷へ行った。
地方出身者なので?
銀座・原宿・新宿・池袋・日本橋・御茶ノ水・青山・自由が丘
どの東京部分の地に赴いても、その地にいる自分はよその人だ。
都会人ごっこをさせてもらっているような気がする。

東京部分の地だけじゃなく
横浜・逗子・葉山・鎌倉・江ノ島
そんな、よく耳にする地へ出かけても、
なんだか、借り物のまた貸しをされているような、
間借りしているような
ここは私が長居する場所じゃないと思ったりする。

****


カウンセリングは、娘のことについてだ。
但し、娘は今のところ行きたがらないので、まずは、私だけ。


カウンセラーさんの
『家族の方が、こうして問題を意識して
 行動にでることを介入といいますが
 この介は、お節介の介ですね。とても大切な一歩です。』

『一番大切なのは、正直ということです。
 正直な気持ちを大切にしてください。』

夫に散々正直な気持ちを投げかけたことは
けして間違っていなかったと意外なおまけをいただいた。


******


渋谷のカウンセリングで心伸ばされてほどかれた後
休みのとれた夫と待ち合わせ、
代官山なる地へ初めて、足を伸ばしてみた。
若い人たちが、すっきりときれいで、
こんな街があるとは、東京だなぁと
また、田舎感情丸出しで、気持ちよく歩く。

気持ちよく歩き、正直な気持ちをぶつけてみる。

私の言葉に夫は涙ぐんでいるように見えた。
また、彼を追い詰めたかな。
それも、無駄にならないと思えるうちは
気持ちをさらしてもいいよね。

*****


渋谷から代官山、そして、恵比寿へと歩き抜けてみる。
雨にも降られず、梅雨寒の天気は散歩に絶好であった。
中年の夫婦が、手をつないで歩いて
この日の代官山は、きっと見栄えが悪くなっただろうと思う。

乱暴な話

思えば、
夫の浮気で私が、すぐに立ち直らないのは
自分の打たれ弱さにあるのかもしれないと思う。


前記事の一文を広げての記事です。


様々にダメージを受けた人と出会う機会が
与えられてきたが

乱暴に分けると
立ち直りが早い人と、そうでない人がいる。

すごく勝手な仮定をすると、
立ち直りが早い(というか、そう見える人)は
愛されて育ってきた人だ。
確固たる自信の根底が、自分の中でしっかりとある。
たとえ、夫から浮気・不倫という自己否定を食らっても
自己肯定をする力を持っているから
ある程度の落ち込みや、ショックを受けた後に
私は、私だと自分を認めることができる。
ご主人との仲が、改善するかは別として
己を立ち上げるすべを見いだすことができるようだ。


なかなか、立ち上がれない人は
愛されて育ってこなかった人。

いや、愛されてきたのだけれど
愛されてきたとの実感が薄い人。
もしくは、過去に自己を葬り去るようなつらい経験を持った人だ。

私もこの後者に入る。

では、その人は、不幸だろうか。

答えは明白。否である。
自己肯定感が薄く、うらみを消せない。
理想が高くて、くじけやすい。
何よりも打たれ弱い。

そんな自分をなかなか認められない。

なにやら、心理学のあの症状に似たりだけれど
いいじゃない。それでも。
この事件で、自分の本質がわかっただけでも見っけものだ。

私は、打たれ弱い。
私は、あなたの助けなしには、
生きていけないヨワッチイ生き物なんですわ。
もう、虫けらです。

そんなふうな自分を受け入れられなくて、
打たれ強くなるぞと
あなたの助けなしで生きていくぞと
虫けらから蝶になってやるーと
鼻息荒くしてみても、
ああ、だめなものはダメなんだよなぁと
認めざるを得ない。

悩んで、苦しんで、探して行く道にずっとずっと歩み続けた。
だからだ。
そしてだ。
でもだ。
しかしだ。
生きることの何たるかや、本物のへたれであることを
認めていったらあら不思議。
助けて、引き上げて、救って、癒してくれる存在がいることを
知ったから、ああ不思議不思議。

癒しなんて言うと、イヤシイ(卑しい)に聞こえるから
ちょっと恥ずかしくなったりする。

そんな単純なものじゃない。
それでも、助け手は、必ず現れる。

私を『まっいいか』と肩の力抜かせてくれる。

愛されていないと思い込んでいた私が、
本当は愛されまくっていたことを知ろうとしなかっただけだと知る。

続く日々

娘の調子は一進一退で、もちろん心の病だから
すぐによくなるべくもなく
『見守る』ことの忍耐を、味わう日々であるけれど
なんだか、地に足がついた生活で、それはそれでいいのかと思っている。


心の病と括ってしまえば
私も1年以上送ってきたことがあったから
その鬱のような、PTSDのような、パニック障害のような
病名をあえてつける必要もないけれど
そんな落ち込んだ時間を
夫は、ずっとずっと見守り、支え、包んでいてくれたのだと
いまさらながら想い至ったりするから
夫婦っていいな、家族っていいなぁと
感謝の気持ちがわいてくるから
私も少しは、変わったのかなと思ったりする。

もちろん、
私の途方もない落ち込みは
夫の不誠実な行動の所以であるから
その責任をとるべく夫は、私の面倒を見る義務があった。

なんて、いうと悲しく響くから
夫は、私を好きだったのだなぁ、大切なのだなぁ
だから、まぁ馬鹿なことはしたけれど
ぼろぼろになった私を見放さず、やり直しを尽くしたのだと

信じている。
っつうか、だから今、こうしているのだね。


*****


娘の調子の悪さは
世間一般の解説で言えば、
母子関係の悪さとか、見捨てられ感とか、
心のよりどころのなさとかだそうだ。
肉体の虐待はなくても
なにげない言葉が、ナイーブで傷つきやすい子の
心に刺さることもあるそうだ。

思い当たらないわけがない。
私は、夫とのことが修羅場だったとき
子供のことを考えられなかった。自分のことしか、思えなかった。
いや、子供のことは考えていたが、形ばかりにこだわっていたと思う。
目に見えることとか、体裁とか。

今日書きたいことと話がそれるから、このへんの描写は省略。



娘の調子の悪さは、言われなくても私のせいだと思う。

そのことを思うと、胸がつぶれそうになる。

娘のことをとても大切で愛していて
けして、わざとじゃなかったのに
愛情が伝わらなかった。
愛情が途切れたときがあった。
愛情が裏返ってしまったときがあった。


夫が、注意を怠って、気の緩みで、
どうしてかの理由もつけられずに
私を裏切るようなことをしてしまったのは

私が、娘を愛しているのに
心から彼女を大切に思っているのに
娘のためと心得ることを終始できなかったことに
似ているかもしれない。







****


思えば、
夫の浮気で私が、すぐに立ち直らないのは
自分の打たれ弱さにあるのかもしれないと思う。

自分の打たれ弱さを形作ったのは
両親の育て方と、持って生まれたものだ。

両親は完璧な人たちではなかった。
でも、だからなんだろう。
両親は完璧じゃない。
私も完璧じゃない。
夫も完璧じゃない。

なのに、私は娘に完璧を求めたなぁ。


*****



夫が失敗をして、でも、その失敗にとどまっていないで
私を愛しなおしてくれたように
私も、娘を愛しなおそうと思う。

やり直しって素敵だ。

失敗を知っている分、必ず前に進めるのだもの。



*****

教会で牧師の話の切れはし。
『変わるとは、成長することですよ。
 だから、あなたは変わり続けることが必ずできます』

うむむ。
そうか、だから、よいほうに変わるか。


*****


毎日、元気に、笑顔で、前向きに
朗らかに、落ち着いて、明るくを
自然にしているつもりがやはりそうでない。

日曜日の礼拝、教会で、なんだかメソメソがとまらない。

私『ごめんね。なんだか、教会に来ると気がゆるむわ。
  何があるわけじゃないんだけど、泣けてくるわ。』

友人『いいのいいの。泣くのは、大切だよ。
   たくさん泣いたほうがいいよ。
   泣かないでなんていられないよ。』

私『ありがとう。』

友人『落ち込みなさいな。もう、自分のせいだって、
   本当に自分を責めて責めて責めぬいていいんだよ。
   そうしたら、次に進めるからさ。』

伝道者でもある友人の温かく厳しい言葉が私を包む。

自己犠牲

家庭に、神の愛をもたらせば、

平和と喜びがみち、それは隣人にも及びます。

家庭が、共に祈れば共にあり、

共になれば愛し合います。

愛があれば分かち合います。

隣人を訪ね、

その愛は自己犠牲にまで高まります。

そして、愛はまた愛を生みます。


マザー・テレサの言葉より





どうだろう。
私は、先に『自己犠牲』を据えていたと思う。
それも、つもり自己犠牲だ。

『これだけしてあげているのに』
『こんなにやったのに』
『あなたのためを思って自分のことは我慢したのよ』

神様を信じても、
神様にどれほど支えられても、
神様が柔らかく包み癒してくださっても

かたくなで弱い私に、神の愛は、まだまだ染み渡らない。
自分を犠牲にしたんだとの驕りだけが、どんどん膨らんでいって
私は愛からどんどん離されていく。


自己犠牲は、神の愛の添えものだとマザーは解く。

自分がどうするかなんて、後々自然と湧き出てくるものなんだ。

愛されっぱなし
生かされっぱなし
恵みが注がれっぱなしでいいんだなぁと思う。


黒光りとあじさい

「困難に出会って、人の徳はもっともよく磨かれ、美しい光を放つ」


私は、困難なんていらない!!
徳なんていらない!
美しく光らなくてもいいから、困難のない人生を歩ませてください。

と、どんなに文句たれても
人生に大なり小なりの困難は、必ずやってくる。

ときには、どうしようもないような
こんな苦しみに意味なんてあるのかと
自分を自分で腐らせてしまうような困難もあるだろう。


「困難に出会って、人の徳はもっともよく磨かれ、美しい光を放つ」
この言葉は、『男であること 夫であること』のfutenさんの自己紹介のところに書かれている言葉です。素敵ですね。

徳がもっともよく磨かれるって、すごい。すごすぎる。





*****

先日、工藤信夫さんというクリスチャンであり、精神科医である方の
講演会に行ってきた。同じような話があったのを思い出した。

工藤信夫氏談(思い出して要約です)

『誰も、一点のしみもないような人生を送る人なんかいないのですね。
 誰しも、なんらかの形で、挫折や、喪失や、失望、苦悩がある。
 私の心は、暗くなりましたから、立ち直れません。
 だめです。もう光れない・・・といいますけどね。
 いいんですよ。光ることで言えば、黒光りでもいいじゃないと
 思うんですね。黒くなった心も神様が磨いて、あなただけにしか
 放てない美しい光をださせてくださるんですねぇ。』


**********





20070701011834.jpg




あじさいの咲く道を、夫と散歩しました。
夫の多忙は相変わらずです。

夫『ああ、忙しくてだめだ。』

私『だめって、あなた本当にだめになるよ。
  過労死してからじゃ遅いのだよ。』

夫『でも、やらなくちゃさぁ。』

私『明日、具合悪いって言って、休みなさいな。』

夫『無理無理。明日は、無理なんだ。』

私『前もって休むのは、休みずらいけど、
  本当に熱が出たら休むでしょう。
  だから、熱出たことにして休めばいいんだって。
  倒れてからじゃ本当に困るよ。』

夫『う~~~ん、そりゃそうだけどさ。』

私『あなたね、私が他の人に抱っこされてもいいの?
  あなたが死んだら、私、他の人に抱かれるよ。
  私が、他の人に抱かれてもいいの?』

夫『・・いや、それはいやだ。うん・・・。それはダメだ。
  そうだね・・明日は、無理だけれど、来週あたりなんとか休むか。』

私『ねっ。そうしよう。去年あじさい見にいけなかったから
  あじさい見にいこうよ。』




そして、あじさいの咲く平日の誰もいない道を、夫と散歩してきました。
とても贅沢な輝くひとときでした。

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