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心に傷をうけた人の心のケア

心の穴の話を続けていますが、少し寄り道します。

夫婦のやり直しをなしていった中でいろいろな本を読んできました。
その数冊をこのカテゴリーで紹介していきます。


心に傷をうけた人の心のケア―PTSD(心的外傷後ストレス症候群)を起こさないために 心に傷をうけた人の心のケア―PTSD(心的外傷後ストレス症候群)を起こさないために
クラウディア ハーバート (1999/04)
保健同人社

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夫の浮気が発覚したあと
ラブホテルの看板を見て、心臓が壊れるかと思うくらいの動悸がしたり、
テレビを見ていて『不倫』の言葉にパニックを起こしたり、
『ゆるされない恋』のような歌詞に夫と女性の情景が、
いきなり頭に浮かんできて取り乱してしまったりしたことがあります。

機嫌よくしようにも、落ち着こうとしても、
どうにも自分自身をコントロールすることができず、
私は、このままおかしくなってしまうのではないかと、
恐ろしかったときがありました。

この本に出会って、それが心に大きなショックを受けた人間が陥る
当然の状態(フラッシュバック)と知ってほっとしました。

PTSDの本来の症状は、私が経験したようなものとは、
比べものにならないほどの辛いものです。

しかし、
配偶者の裏切り=自分にとって命を脅かされるほどのショック 
を受けたと考えると、PTSDにより近い症状が現れたことは、
学術的にも、病理的にも、納得のいくものと思います。

配偶者が謝罪し、反省しても
取り乱したり、なかなか立ち直れない、
回復に時間がかかる理由があると知るだけでも、
得るものがあると思います。

ただし、
この本は、自分自身の立ち直りのヒントです。
夫婦の仲を取り持つための直接的なものではありません。

やり直しされるご夫婦で、なぜ裏切りを受けた側が
なかなか立ち直れないのか、ということを知る指針としてお薦めします。
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絆つくる夫婦のために(24)心に穴があく②~風に吹かれる

心の穴はそのままでしょうか。
心の穴はけして、そのままではありませんが
すぐには、その形をかえることはないでしょう。




心に穴があいて
なんだか、毎日が辛くて、はかなくて、せつなくて
晴れやかに、すっきりと、和やかに、澄み渡るような気持ちになれなくて
ああ、あのことさえなかったらと、くよくよしてしまいます。

それが、心に穴があいて、
その穴からピューピューと冷たい風に吹かれている状態です。

心の穴から入ってくる冷たい風に
吹きすさばれて、途方にくれています。

そして、そんな打ちひしがれたくよくよする自分が嫌いです。

本当は、元気なはずなのにとか
楽天的で明るい性格のはずなのにとか
前向きな頑張りやなはずなのにとか

今ある自分の様をこんなはずではないと、受け入れることができません。

こんなことははじめてかもしれません。

大きな大きな挫折感、空虚さ、虚無感を
味わうのが初めてであればあるほど
その穴は大きいかもしれません。



泣いていい。
嘆いていい。
悲しんでいい。
穴から吹き込む風にさらされて、落ち込んでいいときがあります。

立ち直れないような最低の状態があるということを知ることが
この状態の価値です。

私はこんなにも配偶者をかけがえないものだとしていたのだと
知ることがこの状態の大切なところです。

私にも想像もしないような理不尽なことが起こるのだと知ることが
この状態の収穫です。

苦しさや
悲しさや
怒りや
情けなさや
悔しさや
虚しさや


ほどほどに善良で温厚で明るくて前向きで優しいと買いかぶっていた
私の中に、ありとあらゆる負の感情や、こんなにどろどろとした感情が
沸き起こることがあると

知ることが出来ただけでも、まったく無駄になりません。


自分探しの旅 と言われたりしますが
楽の中に、おもしろおかしい中に、夢のような中に
自分はいないのかもしれません。
環境のよいときに、人は誰も朗らかになれるのは当然のことで
環境や状況が悪い中にあれば
私は、荒れる人間なのだ、弱く本当に弱くちっぽけなのだと
知りえたことだけでも、十分な成長でしょう。



心に穴があいて
泣き叫んでいる、いつまでもどうしても立ち上がれない
そのぶざまな始まりが、もしかすると、
本当の自分探しの旅かもしれません。

本当の自分に会い、本当の配偶者の芯に触れるのが
こんな風に搾り出すような苦い時間から始まる
~それが望まないものであっても~のかもしれません。


******


しかし、いつまでも
風に吹かれて泣きつづけたり
ショックを受けて茫然ともしていられません。
いつまでも思い返して、いじけてもいられません。


できてしまった穴をふさごうと
動き出すことを始めなければなりません。


風に吹かれて、よれよれになっている自分を
なんとか立ち直さないとと
穴をふさぐことに必死になります。


穴はふさがるでしょうか。
配偶者の裏切りでできた穴は、果たしてふさがるでしょうか。


続きます。


絆つくる夫婦のために(23)心に穴があく①~穴をふさぐ

心に穴があくとは、こういうことなんだなぁと知りました。

失恋の虚無感とは違う
受験に失敗したような挫折感とも違う
同僚だけが上司に認めらて、置いてきぼりをくらうような焦燥感とも違う

心にあったそれがぽっかり無くなった その姿 その形 その温もり
それそのものでなければ埋めることができない穴です。

唯一無二の この世のただ一つのそれでなければならないものが
無くなってしまった心の穴です。


配偶者の裏切りを知ったときに、心に穴があくとは、このことなのだと知りました。心に穴があくとは 小説で、映画で、テレビで何回も聞いてきた言葉でした。友人が亡くなったとき、ペットが死んだとき、失恋をしたとき、それぞれに心に穴があいた思いも体験しました。しかし、こんなに大きな穴があいて、冷たい風が吹き込んで、心の隅々までも冷え切るような気持ちになることを初めて知りました。

心に穴があく。


穴があると心が暖まらなくて、辛い時間が流れます。
なので、その穴をふさごうと必死になります。

しかし、必死になるばかりに、欠け くだけ 壊れた穴の残骸を無理やりに押し当ててみたり、的外れなもので穴を塞いでみたりします。

****


夫の愚行が発覚し、女性と切れる。
夫はもとに夫に戻ったかに見えます。
なので、戻った夫をその心の穴にあてはめてみますが
心の穴は、もう元通りにはなりません。

『夫は元通り』とは、夫婦の形の表面上がそうであるだけで
自分の心の中では、元通りの夫はどこにもいません。

前のブログや過去の記事で述べたと思いますが
信じていた、誠実な、うそをつかない夫は
心の中で死んでしまい、今、目の前にある夫は
うそをついた夫・裏切りをする夫・隠し事をする夫
でしかありません。

夫の側からは、
反省もしている/謝罪もした/女性とも関係ない
としているので、元通りとなしたとの考えがありますが

妻の側からは、
見えない時、会えない時、一緒にいない時がうそだったと
知ってしまったので、今ここにある夫=心の穴には
あてはまらないのです。
発覚してしまってからは、夫はうそがつけると知ってしまいました。
二度とうそをつかないという保障はないので
うそのなかった夫が抜けた穴を
うそをつくかもしれない夫で埋めることはできないのです。

心にできてしまった穴は、
一時の夫の反省・謝罪・誠実では、埋めることはできません。

もちろん、それは夫婦のやり直しに必要なものでしょう。
必要というよりも、心底手に入れたいと思うものです。

夫が謝ってさえくれたら
夫が反省し変わってさえくれたら
夫が誠実を尽くしてくれたら
と、望むのは裏切られた側としての 当然の希望です。


でも、どんなに夫が謝っても
どんなに反省の色を見せても
女性とまったく関係ないとの日々が積み重ねられても

発覚前の何の不安もない、のんびりとした、心のびやかな思いに
隅々まで覆われないのは、どうしてでしょうか。
心の穴がふさがらない・閉じないのはどうしてでしょうか。
夫の誠実さに答えて、明るく元気に朗らかになることができないのは
どうしてでしょうか。
いつまでも ゆるせず こだわり 振り返ってしまうのは、
どうしてでしょうか。

心の穴は、そのままなのでしょうか。

そんなことはありません。
心の穴は けしてそのままではありません。


続きます。



お交わり

交わるとは、辞書によるとつきあうという意味がありますね。
『朱に交われば赤くなる』との慣用句もあります。

でも、教会で初めてこの言葉を聞いたときに
とんでもない違和感を感じました。
まずい。宗教はやはり危ないぞ。
何を交わるのだと思いました。
(この発想は、日頃そんなことばかり考えているから^^;)


礼拝の最後に、牧師が
穏やかに、柔和に、落ち着いて

『礼拝のひとときを感謝します。
今週も皆様のご健康と
主にある生活をお祈りいたします』 とかなんとか
そして、『どうぞお交わりください。』
と、おっしゃる。

そうすると
会堂に集まった皆が、握手を交わして
感謝しますとか、ありがとうとか
お祈りしていますとか、
また、それぞれに談笑となったりするのだ。

なるほど。これがお交わりね。



時々牧師が詳しく説明してくださる。

『初めて、教会に来られた方は
 違和感を感じるかもしれませんが
 私どもの教会では、礼拝後、この一週間の皆様の
 守りを祈って、その感謝を握手をもっって、それぞれに示します。
 外国の教会ですと、hugでなされるのですが
 日本人にはその習慣があまりありませんので
 どうぞ、握手でお交わりください。』

とのことだ。


ふむふむ。
怪しいものじゃないのですね。
そういえば、ゴスペルのイベントで
ベースの教会に寄せていただいたときに
礼拝後、黒人の大きなご婦人たちがhugしてくださったっけ。
温かでふかふかの巨体に優しく抱かれたその日にゃあ
天使やら、御使いが慰めてくれるって
肉体であらわすとこんな感じ?!と、感動したものです。

何かのときに儀礼的にhugするのとは違う。
教会のhugは何か特別なものが詰まっていると感じました。



そうして、日本のこの教会ではhugのかわりに握手ですね。
なるほどなるほど。

慣れると こりゃいいもんだ。
あの人この人、なかなかお話しできないその人の
顔や名前を覚えたり、笑顔に触れたり、かなりいいものです。



*****

夫と教会に通うようになっても
夫婦の仲が なかなか思うようにいかなかった時間があります。

教会へ向かう車の中で
しゃくりあげるほど泣いて
『あなたといたくない。本当にもう顔も見たくない。』と
切々と訴えたことが何度もありました。

それでも、礼拝にはいきたくて
教会には絶対にいきたくて

泣きはらした目を伏せつつ うつむきつつ
なんとか、会堂の席についています。



どうして 夫と離れて座らなかったのだろう。
教会にご夫婦で集っておられる方が多くて
うちの夫婦仲もいいのよと へんな見栄をもっていたのかもしれません。


礼拝の先生の説教が終わって

『お交わりください』の声が聞こえます。

夫と私の両隣には、ほかの方がそれぞれ座っているのですが
その方たちとの握手を先にせず
まず、2人で握手をしました。
いつも、どんなときもまず、2人が握手をしました。

お隣にどんなに親しい人が座っても
娘たちが座っても
もう離婚しかないと心に刻んだときも
ゆるすもんかと怒り溢れたときも

どんなときも、夫の手を握りました。

そのたびに
心の中の堅くとがった固まりのようなものが
溶け始める。

私がそれを溶けるな、
せっかく怒ってきたのに
ゆるさないと決めたのに
やり直しとかめんどうだと蹴散らかしたのに

優しい
柔らかい
ゆるやかが

心をさぁっと覆い始めて
もう一度やり直そうと
仕切りなおしさせる。


夫に小さな声でごめんねと言うと
僕もゴメンネとかえってくる。

そんな繰り返し繰り返しで
ある日の握手はありがとうばかりになる。

お交わりくださいとの声は
愚かな夫婦の再生もさせているらしい。

交わるとは、その重なり握りあう手のうちに
魂どおしの触れ合うかけらを織り成しているのかもしれない。

SNSに誘われて

SNSに誘っていただき2ヶ月経ちました。

今まで、そちらでは日記は書かず
このブログ一本でしたが
やはり、そちらとこちらで同時にUPしていきたいと思います。

これから
SNSの記事と同じものになったり、ならなかったり
いろいろと思いますが (無上の私信のみあちらと思います)

読んでくださった方・訪問してくださる方は
感謝と歓迎を心からさせてください。


***************************



浮気されました、浮気しました
不倫しました、不倫されましたの方は多いですね。

ですが、そこから立ち直りました。
仲直りしました。
後ろ暗く生きるのを辞めました。
と話す方は少ないですね。

とつぶやく私も、だんだんの過去のしんどい思いや
どん底の感情は消えたり
うすれてきたりして、
どのように荒れて後、どのように試行錯誤したかは
今こうして、真っ当に当たり前を慈しむになれてからは、
語ることが難しく、忘れていっている部分が多々あります。

夫婦の関係はその夫婦それぞれで
コツとか、マニュアルとか、指針みたいなものは
ないのだと思います。

でも、底や根になるものは
きっとあると思う。
いや、あると断言したい。

断言しても、それを形にしたり
あらわすのが本当に難しいです。

それを書きたいなぁ。
書くことをゆるされている今のうちに書きたい。
ああ書きたい。

喜ぶ

どういういきさつか知らないけれど
礼拝(夕拝)の賛美で、夫と私が壇上で2人きり、歌うことになった。

やめて~~~~です。

やめて~~~と言っても
まぁ頑張ってね、大丈夫大丈夫とにっこり親切に勧められるのが
教会っつうもので、上手下手を競うコンクールじゃなし
賛美だからね、賛美と言われて、断りきれず
一生懸命練習を積んで望みます。


ただ歌うのじゃ、つまらないので
ちょっとハモってみましょうか、ということになります。

夫は、音楽の素養がなきにしもあらず。
つうか、ないようであるが、あるようでなし。
いやらしく表現すれば、私よりへったぴぃの人だ。


散々に厳しく、
ここで息を吸え
前を見ろ、姿勢を正せ
あやをつけるな、素直に歌え、
メロディをとらえよ、歌詞に心こめよと

と指導する私。
君みたいにはできないよと、へこむ夫。

それでも、本番はやってきます。


当日、どうにかこうにか、声をだしますが緊張しますよね。
礼拝だから、賛美だから、人前だから、神様の前だから
ゴスペルちっくなリズムのある曲ではなく
讃美歌の涼やかでまっすぐなメロディであるがゆえに
緊張が極度に達してしまいました。


結果、夫は間違わず、つられず、見事に歌いきり
私は、歌詞を間違え、ハモルところは、ずれて散々でした。



礼拝後・・

私『・・・間違えた。全然だめだった・・・』

夫『ごめんな。僕がへたくそだから、ちゃんと歌えるかどうか、
  君心配だったんでしょ。集中できなかったんだよね・・』



優しく謙遜な言葉が、夫の口から柔らかくでて、
耳にそっと吹き込まれるから、思わず泣きそうになる。


神様、ありがとうございます。
夫婦をやり直しさせていただいて、本当にありがとうございます。

私のような最低の人間に
生まれ変わるとは、このことだと
夫を通して働く信仰を見せてくださって感謝します。



**

泣こうか、どうしようか。
泣きたい。泣くほど嬉しい。


私『あなた、いい人だね。
  私たち結婚してよかったね。いやだ、泣きそうだから笑うよ。
  がはははははは。』

夫『がははっはかよ。まぁいいか。ははっはははは。
  ああ、賛美終わってよかったね。』

恥ずかしいから笑っておこう。
嬉しいから笑っておこう。
喜びなさいと言われているからこの時こそ喜んでいよう。





**********

娘にこのことを話す。

私『ねぇ~パパっていいよね。』

娘『うん。笑っておいて正解だ。調子にのるからね。それくらいがいい。』

厳しいぞ!娘。
  

一生もの

この傷は一生消えない。


もし、傷が消え、見えなくなってしまったときは
私は、鈍感で、無責任で、思いやりがなくて
自分だけを大切にすることを求めてやまないバカ女に戻る。


この傷で、
心をえぐり、人格を砕かれ、どん底を這う苦しみを味わった。

だから、傷を治すことを
傷から回復することだけを願ってしまいがちだけれど


この傷がもし、まっさらに消えることがあったなら
それは、私がこのことを
どうでもいいこととしていることになるだろう。




この傷は、一生忘れてはならないと思う。
この傷をもし忘れることになったなら
それは、傷をなしたことがたいしたことじゃないのだとすることになる。


けれど
傷をバネにして、必要以上に荒んではいけない。
この傷が可哀相と撫ぜてばかりいてもいけない。
この傷のせいでと悪いことばかりを数えてもいけない。

祈って、この傷に感謝しよう。


この傷がなければ

私は、
受けるばかりの
請うばかりの
厭うばかりの者だったはずだ。

この傷があればこそ
私は生まれ変わらせていただけるあの方に会えたではないか。

この傷があればこそ
やっと人の傷みを思う人に少し近づけたではないか。


*********************






夫の愚行を知るまで
世でいうラブラブの幸せ夫婦でした。
子供たちもそこそこお気楽で、ご機嫌な状態でした。

日々、それなりに嫌なことがあったり
調子の悪いことがあったりもしましたが

頑張ればとか何とかなるとか
適当に思っていました。

自分の力でなんとかなると考えていました。

だから、落ち込んでいる人や
悩み多い人は、努力が足りない人なのだと
もっと頑張ればいいのにと思ったりもしました。

体験しないとわからないこと。
自分の小さな脳みそでは、想像もできないことがあること。
そんなことも分からない小さな者なのに、
全ての 一部の全てをわかったつもりでいました。
自分が小さくて、足りなくて、愚かものだとわからない。

もちろん今もわからないことはたくさんありますが


自分は何も知らないものだと知ることができただけでも
ほんの少し進歩したかもしれません。

一生ものの価値ある進歩のスタートラインに
やっと立つことができたのかもしれません。

水曜日 夜7時

私が集っている教会では、毎週水曜日に
『聖書研究』とか『聖書を学ぶ』集会があり
その時間にまた『祈り会』がある。

夜7時からだ。
仕事も上手く運ばないし、家のことも子供のこともあるし
毎週必ずとはいかないが、できるだけ都合をつけて参加するようにしている。




『週の半ばに、全ての雑事から解放されて

 教会のこの礼拝堂で心静めて、

 祈るひとときが与えられたことを、心から感謝します。』




ばかのひとつ覚えみたいに
私はいつもこう祈り始める。
だって本当にそうだからしょうがない。

茶碗洗いも、
洗濯物たたみも
おもしろおかしいテレビ番組も
心に残っているあの悩みも煩いも
夫に話さなくてはならないあんなことも
週末までに仕上げる約束のあのレポートも


今は、全てゆだねて、自分の手から手放すことをゆるされて
祈ることに集中できるこの平安はなんだろうか。


夜の教会は、格別にいい。
もちろん、日曜日の礼拝は、本家・本元・元祖なので言うまでもないが

一週間の真ん中の数分が、しんと静まるのだ。
心が静寂に覆われるのだ。

物理的に、心理的に、積極的に静かな時間は、
自然でおくゆかしくて澄んでいて尊くて平和で
希望がやってくる。

何もないのに、幸せだ。
何ももたないのに、安心だ。
何もかわらないのに、平穏だ。

祈るとは不思議なことだ。

**

お近くに教会のある方は、どうぞ、足を運んでみてくださいね。
きっと週の半ばあたりに祈りの夕べがあると思います。
日曜日が行きづらいと思う方こそ、お試しにどうぞ。

**


さて、
祈りの時間は、毎回30人前後が集うのだが
くじびきでペアを決める。
(うちの教会の場合ね。他の教会ごとで違う方法と思います。)

先回は牧師とペアでした。
ああ、緊張するなぁ。マンツーマンは誰とでも緊張します。

世の中の憂うことや
教会の計画、個人的なことをシェアしあって祈ります。



(会話抜粋・簡略化しています)

私『先生、個人的にお祈りさせていただくことは?』

牧師『足がね、腫れてずっとおかしいんです。
    病院に行っても原因がわからなくて。
    傷みもありますから、解決があたえられるように祈ってください。』

私『まぁ・・そうですか。知りませんでした。』

牧師『forgiveさん、いかがですか?』

私『子供が教会に来たりこなかったりで・・・
  受験のこともあるので、先生そのことをお願いします。』

牧師『はい。わかりました。私から祈りますね。

   天の父なる神様、今晩は、こうして愛するforgive姉妹と
   お祈りできる時間をいただけました。本当に感謝します。

   神様、どうぞ、forgiveご夫妻がいたわりあい、慰めあい、愛し合う
   神様に喜ばれる素晴らしいご夫婦としてますます絆溢れるように
   お守りください・・・・・』


ひえ~~~~~。
子供のことってお願いしたのに、まずは、夫婦ときたもんだ!

しかもまず、いたわりあいなさいだよ!

私がなかなか夫をいたわれないことを
神様はお見通しなんだ。

・・・・恥ずかしいわ。
以前の私なら、でも神様と必ず、言い返していた。

神様、いたわりたくても、夫はいたわるに値しない人です。
私は夫をいたわりたい。でも、いたわることがどうしてもできません。
どうか、神様、夫を心からいたわることができる私に変えてください。

いたわれなくて
憎んで
怒っていたから

苦しくて苦しくて、助けてくださいと
いつも祈っていた。

今、こうして『いたわりあうこと、慰めあうこと、愛しあうこと』を
素直に受け入れたいと思う。
神様は私を確実に変えてくださっている。

祈りの答えは、最善のときに
最善の形でやってくるようだ。






増し加え

『うその愛情を積み重ねると
 それは凝り固まって取り返すために
 大変なことになりますが

 本当の愛情なら、その積み重ねが足りないと知れば
 ただ増し加えていけばいいだけです。』


***


手持ちのCDにしっくりしないとき、ラジオを聞きながら仕事をします。
いい事言う人も多いから、嬉しくなることもしばしば。
上記の言葉です。


親子関係について相談したり、意見交換したりの番組でしたが、
ある人が素敵なことを言っていました。

親子関係によらず、全ての人間関係に当てはまると納得。


うその上に成り立つそれは、
本物じゃない
本心が見えない
なんとなく気持ちが悪いと感じるのは当然で

その積み上げが重ねれば重なるほど
うそや裏切りや隠し事が
たとえどんなに小さくとも
固まって薄汚れたものが築かれることになるのかもしれません。


正直に
真心で
真剣に
接したいとするそれは

とてもとても難しいことですが

丁寧にあせらないで少しずつでも

気がついたところからなせれば
足りなかった分の取り返しは、
いつからでもなせる思います。

いつでもが始まり。

その都度その都度に
増やされていくのだと思います。

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