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絆つくる夫婦③ゆるすとはなんだろう

正直にというか、感情にまかせて
夫と女性のことを知って
私は、夫に離婚したくない、
私の悪いところがあるなら直しますと
いい述べました。

夫も、家庭を壊すつもりはない
君に知れたのだから、これ以上深入りはしないと
女性と関係をたちます。

それでめでたしめでたしになるのは
ドラマの世界だけで、そこから、夫婦の真のスタートとなります。

でもそれを私も夫も、知りませんでした。

夫が不倫したことを謝って、私がそれを受け入れる。
された私にも悪いところがあった。
私も謝って、夫がそれを受け入れて、ナカナオリ。
それで、ゴール。
この話は、終わり。




しかし、終わりではありません。
そこからが、始まりです。
夫婦の絆を作り直す長い長い道のりのスタートとなります。


今まで生きてきた経験や知識から
謝罪する側は、謝ることで、ゆるしを得ると考えます。
謝罪される側は、謝ってもらったことで、
ゆるしたと、ゆるさなければならないと思おうとします。

しかし、残念ながら
夫婦間の裏切りへのゆるしは
きっぱりと決意をして、何かに誓って
即座にそれがなされるものではありません。

謝ったから
償ったから
誠意を尽くしたから
即日によしとなるものではないのです。

また、
何がしかの気晴らしで
私一人の心が平和になったから
落ち込みが解消したから
その過去が時間の経過とともに記憶が薄れてきたから
ゆるしたというものではないのです。

ゆるしとは、ゆるそうと抗う過程です。
ゆるしとは、ゆるせるはずのないようなことを
ゆるしたいとする祈りです。
ゆるしとは、絶たれた信頼を回復して、新しく絆太く結ばれる過程です。

そしてそれは、ゆるやかで、遅々とした過程です。

裏切られたものと裏切ったものが
今までの関係を捨て去って、新たに掛け橋となる手を
差し伸べあうことにあります。

だから、時間がかかります。
そして、時間をかけて育てるだけの価値があります。


もし、ゆるせなくて苦しんでいる方がこれを読まれたら
もし、ゆるされることはないとあきらめそうになっている方が
これを読まれたのなら

あきらめないでください。
やり直そうとそうして歩んでいるそのものが
確実に夫婦の再生へと繋がっています。
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絆つくる夫婦②正直ってなんだ

夫への、私の見知らぬ女性からのメールを
偶然発見してしまったとき、
私は、一気にパニックになりました。

落ち着こう
押さえよう
とどめよう
冷静にしっかりと
取り乱したらかっこ悪いよ


との気持ちが働くとともに

落ち着いていてはいけない、早く早く。
押さえ込む?そんな馬鹿な!
とどめるってうやむやにすること?
冷静にしっかりすることは私には、無理だ。
取り乱してかっこ悪いのが、今の正直な私だ。


次から次から湧き出てくる感情に
頭が割れそうな気分でした。


夫は、近所へちょっとした買物に出かけていたので
そこへ、声をあげて泣きながら走っていったことを
今でも、その季節になるごとに、ぼんやりと

いえ、今では、もう本当にぼんやりと、
遠くのほうで形の見えないものが横切る程度に
なりましたが。



今、振り返ると
この行動をとってよかったと本当に心から思います。

この時ほど、正直な気持ちをストレートに
夫に伝えたことはなかったかも知れません。


夫を商店街で見つけたときに
私の発した言葉は
『助けて』とか
『嫌だ』とか
『ごめんなさい』とか
『別れたくない』とか
『好きなんだよ』とか

まるで、
場末のドラマみたいな言葉しかでてきませんでした。

でも、この場末のドラマみたいな言葉が
正直な気持ちだったのでしょう。
恥ずかしい話ですが
これが正直な気持ちです。
夫と別れたくない。
絶対に絶対に別れたくない。
仲よくしていきたい。
ずっとずっといっぱいいっぱい本物の仲良しになりたい。
私の悪いところを全部直しますから
ゼッタイニワカレタクナイ。

執着でも
固執でも
依存でも
どんなにかっこ悪い
よしとしないことでくくられようとも
それがその時の正直な気持ちです。


当時の私たち夫婦に
恋愛的な時間がなかったか
夫婦の愛情がなかったかというと
そういうわけではありませんでした。
でもそれは、上辺だけのものであったと自負します。
上辺だけだったからこそ、
夫は他女性と関係することに至ったのですから。
(無論、過去の私もそうです)


では、このストレートな気持ちを
私が、
鼻水をたらしながら
なりふりかまわず
人目も気にせずに伝えたことが
夫婦のゆるしあい=やり直しにつながったのかというと
もちろんそれが全てではありません。

全てではありませんが
大切な一部です。


正直な気持ちを伝える。
ここから、始まります。

相手がどのように思い、
感じるかは、そのあとのことです。

相手にこのように感じて欲しいから
こんな気持ちを伝えてみようは、正直な気持ちではありません。



・・・ただ、正直な気持ちは

私が正しい
私がかわいい
私がかわいそう

だけに囚われがちです。

そこで、
正直には

【愛を持って真実を語ること】が必要となってきます。

このときの私は、
神様も全く知らず、愛の本当の意味をほんの少しも知りませんでした。
正直さだけが走り出しました。

********
これも前ブログからの転記です。
これからUPするものとまとめたいと思い
付け加えます。

視点

ヨガのポーズでバランス力・集中力を養う
立ち木のポーズというのがあるのですが

そのときに、先生が

『一点動かないものを見つめていくと
 フラフラしないですよ。』と教えてくださる。

いつだったか牧師が言われた、
『十字架を見つめてください。
昨日も今日も変わらない神様の愛を見つめてください。
そうすれば、あなたたちはの芯の部分は
揺るぐことがなくなるはずです。』

との話しを思い出した。

私たちは、揺れやすく、迷いやすいものだが
視点を据えたそのものが
けして揺るがず、信じ、頼りになるものならば、
自分の揺れに酔いつぶれることは
ないのかもしれない。



イエス・キリストは、きのうもきょうも、
いつまでも、同じです。ヘブル書13:8

ゆびわその2

2度目は、(一度目はこちら)夫のうそが発覚して、半年ぐらいたったときだったか。
夫は、女性とまったく関係がなくなり
反省したり、私に彼なりの誠意を見せてくれたり
夫婦はやり直すということだけを
毎日毎日送っていた時だった。

夫の努力は、夫の努力できっと100点満点だったろうし
私の立ち直りは、私なりにきっと100点満点だったろうが
2人は、どうしてもしっくりしなかった。

何が悪いのか、
何がいいのかもわからない。
2人は、寄り添っているのだけど
お互いがお互いを抱きしめすぎて、潰しているような
もしくは、お互いがお互いを見守りすぎて
触れもせずにただ、離れたところから手を振っているだけのような

兎にも角にも
かみあわない感覚。埋まらない感覚。
後ろ向きで歩いているような状態だった。
進んでいるのだろうけど、前を向いていないのだ。

そんなどんよりとしたものを拭い去りたいと
いや、拭い去るべきものがあるかもわからないような状態の時に、
母が、お小遣いをくれた。
父のわずかばかりの定期だか、保険だかが満期になったから
おすそ分けと、さりげなく言ってくれていたが
ここしばらく、浮いたり沈んだりが激しい私を
気遣ってくれてのことと思う。

両親が、一番喜ぶことは
私達夫婦が、仲良くしていることだと痛いほど知っている。
せっかくいただいた、お金はそのことに使わないといけないねと
夫と話が、まとまった。

夫が、君が一番欲しいものを買おうと言ってくれたから、
私は、ずっと安心な気持ちでいられる、
心が揺らがないための印しがほしいと言ってみた。

もう二度と
泣いたり
責めたり
思い出したり
悪い夢にうなされたり
怒ったり
どうしようもなく落ち込んだり
しないために、

過去を封印する何かが欲しかった。

その何かがあれば
きっと私は、元気になれるだろうと、
きっかけみたいな
トンネルを抜けると光がさすみたいな
魔法をかけてもらいたかった。

夫が改心して
日々口にする誠意の言葉や態度を
目に見える形にして、肌身離さずもっていれば
私の、どんよりとした不安な日々は
きっとなくなるだろうと、信じたかった。

ただ、愛されていることだけを確認したくて
ただ、自分のためだけ
ただ、自分だけがほっとするために

夫婦がやり直すためではなく
私が夫とやり直したいことを願うのではなく
夫が私とやり直すことのみだけに固執している証。

愛して愛して
愛してほしいの渇いた渇いた餓鬼だった私の記憶。

そんなときに手にしたのが、2番目のゆびわだ。

ゆびわを買うことは
2人の新たな集発の日となって
それはそれで、ほんの少しでも華やいだ気持ちになったが
それだけ。

きっぱりと気持ちを切り変える決意は、そのときだけ。
私の夫は浮気したのだという過去に囚われる日々は、
私の餓鬼の心が死なないと
けして消えることはないと、どれくらい後に気がついたろう。


いや、気がついていたのだけれど
どうやってその『かわいそうな私』を手放すことが
できたろうか。

刺繍

牧師の話しから~

私たちは、人生を刺繍の裏側にだけ見てしまいがちなんですね。
結び目や、乱雑に入り組んだ縫い目、大げさに渡った糸や
繰り返し繰り返し繋がったわけの分からない模様だらけです。

でも、神様には
その表の模様が見えています。
美しくあなただけのオリジナルの模様が
刺繍の表に描かれて、素晴らしい出来栄えです。

あなたには理不尽で
辛く苦しい
また、こんなことに意味があるのかと
思うような様々なこと、思い、経験も
神様にはよしとする計画があります。

そのことを忘れないでいてください。
忘れないで、くじけないで、信じて進んでください。

主は仰せられた。
必ずわたしはあなたを解き放って、
しあわせにする。
必ずわたしは、わざわいの時、苦難の時に、
敵があなたにとりなしを頼むようにする。
エレミヤ書15:11

春の日だ

再び、会社勤め再開。

会社研修のために都心へ出向く。

午前中びっちりの研修が終えて
オフィス街をぶらり。

改めて、この世には、驚くほどの人間がいることに気がつく。
どのビルの出入り口からも
たくさんの人々が行き交っている。
私の日常と言えば、普段は、家の周りかせいぜい近所のスーパーと
歯医者に行くぐらい。
ああ、ヨガも習いにいっているけれど
数えられる人数くらいしか目にしないしなぁ。

こんなにたくさんの人がいるのに
よく知り合ったなぁ、私達。

しかも結婚までして、子供も作って
いろいろもめても、まだ一緒にいたいと思う。
この気持ちはなんだろう。
どこから湧き上がってくるのだろうなぁ。

そんなことを暢気に思いながら
ちょっぴり色づいてきた桜の木の下で待つこと5分。

『おまたせ。』

偶然、夫の事務所近くでの私の会社研修であった。
うまく時間が会えば、ランチでもしましょうと、
寸暇を惜しむようにして、夫婦デートを細切れに楽しむ。

あほちゃう?
家に帰れば、また、一緒にご飯食べて、一緒に寝るんじゃん。
それでもそれでも、2人続いてくぐる定食屋ののれんは
嬉しい、嬉しい、嬉しい。

『あんたのお昼って、いつもこんな感じなの?』

『いや、君の作る弁当が、いいよ。』

『ふ~~ん。へへっへ。そうかぁ。ふ~~ん。』

よい春の日でした。
本当によい春の日です。

結婚について

結婚について     ハリール・ジブラーン/神谷美恵子訳

結婚についてお話をどうぞ、とアルミトラが言うと彼は答えて言った。
あなたがたは共に生まれ、永久に共にある。
死の白い翼が2人の日々を散らすときも
その時もなお共にある。
そう、神の沈黙の記憶の中で共にあるのだ。
でも、共にありながら、互いに隙間をおき、
2人の間に天の風を躍らせておきなさい。

愛しあいなさい、しかし愛をもって縛る絆とせず、
ふたりの魂の岸辺の間に
ゆれ動く海としなさい。
杯を満たしあいなさい、
しかし、一つの杯から飲まないように。
ともに歌い喜びなさい。
しかしそれぞれがひとりであるように。
リュートの弦が同じ音楽でふるえても
それぞれ別のものであるにも似て。
自分の心を(相手に)与えなさい。
しかし互いにそれを自分のものにしてはいけない。
なぜなら心をつつみこめるのは生命の手だけだから。
互いにあまり近くに立たないように。
なぜなら寺院の柱は離れて立っており
樫や糸杉は互いの影にあっては育たないから。




ある詩人の結婚の理想です。
これを実現することは、難しいと訳者である神谷さんも
あとがきに残しています。

・・・まぁ、難しいけどね。
難しいけど、めちゃくちゃ気持ちよさそうだから
そうなるように、いっちょやってみましょうかののりで
日々過ごしている次第です。

愛し方と掃除の因果関係

愛情と掃除は似ているそうだ。

なるほど。
掃除は、溜めておけばおくほど
埃が積もって、たまっていき
なにやら生活の雑多なものが交じり合って
その汚れが落ちにくくなる。

かといって、掃除ばかりせっせとするには、
何者も寄せ付けないような
神経質な輝きにもなりかねない。

こまめにするが
おおらかにせよ
あたりでしょうか。


愛情もそう。
そうだなぁ。

愛情表現の手抜きは、伝えているつもりが何も伝わらず。
また反対に、過多なそそぎすぎは見返りが欲しくなって
どんどん寂しくなる。

愛情と掃除の滞りなくは、
日々日々、整えて愛でて育むことでしょうか。

一日一日ごとにリセットされてるつもりで
与えられた新たな日を
新たな気持ちでなしていくのが術かもしれません。


昨日掃除したから、今日掃除しなーーいは
どれくらいが限度でしょうか。
これくらいの汚れ、まとめてやるからいいやは
本当にきれいになるのでしょうか。

昨日愛してるって伝えたから、しばらく何もしなくていいだろうは
取り返しがつかなくなるまで気がつかないことが
あるかもしれません。


春の匂い

家の近くにそれは由緒正しく格式高く、
百うん十年の歴史があるという、立派なお寺がある。

そのお寺の敷地に並ぶお墓たちが
丘のむこうに小さく見える。

世間は、お彼岸とやらで
お墓は色とりどりの花がたむけられて
陰気な雰囲気はまったくなく、
お墓一面が、春らしく賑やかなモザイク模様で、
天国みたいに遥かかなたに、美しい。

墓参りの人々が急なその坂道を
登ったり、降りたり、
子供の声が時折、聞こえたりして
春らしい、なんとも言えない
のんびりとした、なんて気持ちのいい日でしょう。

お寺は、彼岸の何がしかのためのなのか
特別に香り高く心落ち着く
よい匂いのお香を焚いていて
窓開けたその周り一面、その恩恵にあずかっている。

いい匂いだなぁ。
気持ちいいなぁ。

お寺の庭を見下ろして
窓から、木蓮や、山吹の咲くのを目で楽しむ。



『ほらー、出かけるよー。ご飯外で食べるんでしょ?
 時間限られてるから、いくぞー。』

おっ、そうだった。
今日は、何回目だかの結婚記念日だ。
ほんとに何回目だ??

50年目が、金婚式
25年目が、銀婚式
20年目が、磁器婚式
15年目は、水晶婚式だそうだ。

夫は午後から、仕事の予定。
記念日なのに、とか
本当に仕事? とか
不安が湧いてこない平安。



『今日は、時間ないから、
 とりあえずラーメン屋さんでお祝いでいい?』

『いいねぇ。汁はねるから、おしゃれしないよ。』



にんにくの匂いは、
また、お寺の香に消されるかな。

ああ、何も考えていない。
信じるとか信じないとか、
山くらい、もめてきたことが嘘みたいだ。


テンプレート変更

テンプレートをとりあえずと思い設定したのですが
より、馴染むそれらしいものをと思って変更しました。

が、コメント欄のタイトルの表示が
できなくなってしまいました。
きっと、きちんと操作すれば、できるのでしょうが
今のところ、どうにもわかりません。

コメントのタイトル=宛名とさせていただいたので
先日お返事した方への宛名がわかりにくくなってしまいましたが、
ご勘弁ください。

【“テンプレート変更”の続きを読む】

絆つくる夫婦①

私たち夫婦は、
裏切りがあった夫婦です。

私(妻)は、過去に浮気に至りそうになった経験があります。
夫以外の男性を良しと感じていた頃は、
他ブログでときおり垣間見るような夢見ごこちの状態でした。

自分では正当な理由を掲げて
不倫をもっともらしく思い巡らしますが
真実は、自分がだらしないだけでした。

百歩譲っていただいて
弁明させていただければ、寂しくてたまらないと
自己憐憫に浸っていただけです。
そして、その寂しさを安易な方法で
昇華しようとした結果です。



また、
夫も私以外の女性にうつつを抜かしている時期がありました。
夫のそれは、当時の本人弁では
『いい気になっていた。
 自分が何者かになったような気がした。
 彼女に好意を感じている。君に特別不満があるわけではない。
 いや・・小さな不満はあるが・・・。』

とのことでした。
男性特有のものと割り切るつもりはないですが
たんなるお山の大将状態です(本人弁)。
自分の人生を粗末に扱っていた状態です。

真剣に何事かを成し遂げたい志ある人間ならば
女房子供を地に付き落とすような行為は
自滅行為だと分かっているはず。

ほかにもいろいろ理由はあったのでしょうが
理由は弁解にしかならないとお互いに悟り、
これからどうしたらやり直せるのかと
夫婦の思いは、至りました。



今、私達夫婦は
長い時間をかけてやり直しの軌道にのることができました。
晴れ晴れとして、のんびりとした平和な日々が
与えられています。



その過程で
私たち夫婦は、クリスチャンとなりましたが
夫婦のやり直しには
キリスト教の神様に出会ったことが
最大の恩恵と言わなければならないでしょう。

聖書の教える愛と信仰と希望は、
私たち愚夫婦を、驚くような道に進ませてくれました。

それは
心からすべてを
すみからすみまでゆるしあうことのできる道です。



そのゆるしあう道の脇には

真正性◆正直に気持ちを分かち合うこと
相互性◆互いに励ましあうこと
同情◆互いに支えあうこと
憐れみ◆互いに赦しあうこと
正直さ◆愛をもって真実を語ること
謙遜さ◆自分の弱さを認めること
思いやり◆違いを尊重すること
秘密を持つこと◆2人だけの親密な時間をつくること
繁雑さ◆2人の関係を優先させること
独立◆互いに頼りあう関係になるために、自己中心を捨てること


とよばれるいくつかの花が咲き


そして、ありのままの私であることを認める合える喜びと
怒りからの解放の旅を続けるができます。

上記の項目は、
聖書を学ぶさいのある指南本からヒントをいただいたのですが
結婚を充実したものにするための
そのものであると感じて引用させていただいています。





これから
時間をおって≪絆つくる夫婦のために≫のカテゴリに
夫婦やり直しのために思いつく限りの、
また経験した全てのことをできるだけ系統だてて
わかりやすく、書き上げていきたいと思います。


文章力の未熟さや
高ぶりやすい心を持ち合わせたものですので
満足のいくものを公開することができるかどうか
まったく自信がありません。


時間もどれぐらいかかるかわかりませんが
どなたか配偶者の不貞で
悩み苦しんでいる方にほんの少しでもお役に立てば幸いです。

****

元ブログからの転記です。
一部加筆修整しました。
この記事を仕上げたくて、
勢いつけてこちらに引越したかもしれません。
どなたかのお役に少しでも立つことができますように
お祈りいただければ感謝です。

ゆびわその1

結婚してから、3度指輪を作っている。

おしゃれのための指輪ではなくて、
何かを形にするための
誓いを立てた印しとするための
気持ちを刻むための
その指輪だ。

一度目は、結婚の時だった。
式の何ヶ月前だったろう。
2人で宝飾店の
ウエディングコーナー?
エンゲージリングコーナー?
なるところへ行き

これがいい
あれがいい
それはいいけど、値段が高い
これもいいけど、もう少しお金をかけてあれがいい

2人でああだ、こうだ言いながら
私たちは、こんな好みもあっているのかと
また一つ、2人の寄り添い場を見つけて
嬉しく、恥ずかしく購入した。


これは仰々しくするべきものだと2人こだわって、
結婚式まで、お互いが相手のゆびわを保管していた。

式の日にそれぞれがそれぞれのを持ち寄って
厳粛な気持ちで、
結婚の誓いに添えて、
ゆびわの交換をしたのだった。

ああ、懐かしいなぁ。
結婚式、楽しかったなぁ。

ビデオ見直すとかなり、かなり、
もう相当に厳しいけどなぁ(笑)



**

夫は、ゆびわをすることをいとわず
当時、男性としては馴染まない
その装飾品を左手薬指に当たり前につけた。
私にとって、誇らしく、勇ましく、心躍るような
嬉しい嬉しい印しだった。


そんなウキウキ新婚生活が
3ヵ月くらい過ぎた頃、
その印しはあっさりと消えた。

独身おつきあいの頃から
夏は海!と決めていて
この新婚ラブラブ世界はバラ色時代も
休日といえば、2人で海へ はお約束だった。

**

日焼けケアのオイルで
私のゆびわがクルクルと指の節のあたりで
動いていることは、知っていた。

でも、
アクセサリー経験のある普通のお姉ちゃんであった私は
ゆびわが抜け落ちるであろうの危機が
どれほど差し迫ったものであるのか、
今までのアクセサリー人生で、よくわかっていたのだ。

わかっていなかったのは、夫だった。

夫は、オイルに滑らすに任せて
結婚指輪を海の深く深くに沈めてしまった。


**

うら若く、健気で、朗らかで世間知らずの当時の私は
始まったばかりの結婚に
もっと大きな不幸やら、つまづきやら、悲しみやらが
暗示されているように感じて
メソメソしてしまった。

『ゴメンネ。気をつけていたんだけど。』

夫が謝ってくれることよりも、
ゆびわそのものがなくなったことよりも
結婚の全体にケチがついたようで、悔しくてたまらなかった。

しばらく、そう、本当にしばらくメソメソしたり、
笑い話として片付けるフリができるようになっても
心の中で、くよくよしていた。

**

新婚当時、お金に余裕はない。
新しいのを買おうよと提案してくる夫に
経済のことと、気持ちが乗らないからダメと断る。

でも、自分の左手薬指に、残ったゆびわを見るたびに
海に沈んだ夫のゆびわは、
波にもまれて砂になるのだろうなぁとぼんやりと思う。

子供のとき、大切に風船を持っていたのに
手から離れて、飛んでいってしまったあの感じ。
また、もらえるからと、親になだめてもらっても
悲しくて悔しくてせつないあの感じ。

**


ある日、
夫がゆびわをなくしたことを
友人に愚痴る。

友人から以外な言葉がかえってくる。

『よかったねぇ。京子(私)じゃなくて。
 京子がなくす可能性もあったのに、
 なぜかご主人のが先に外れてさぁ。
 ご主人を責めて、終わるでしょ。
 あなたじゃなくてよかったよ。
 自分がなくしたら、もっと落ち込んで自分を責めるよ。』


あっそっか。
そういうことか。

友人の言葉に、胸のつかえがすっと取れる。

どちらがなくしてもおかしくなかったゆびわ。
夫のゆびわが取り去られたのは、
そうされる必要があったからだったかもしれない。

何かに気がつくために
2人がより結びつくために
ふたりがゆるしあうために
用意された必然の出来事だったかもしれない。






反省はするけれど、後悔はしない

先日、読んだ本の中の一行が
かっこよくてたまらない。

『反省はするけれど、後悔はしない。』

せまり、押し倒されそう。
そうして、あなたも生きていきてきたのでしょうと
抱きしめられて、また、背中をぽんと押してもらったみたいだ。

道が備えられていることを、実感させていただき
感謝感謝感謝だ。


反省しまくりの毎日。
どうして私はこうなのだろう。
こうなってしまうのだろうと、考えた。
出どころを考え続けた。
出どころも分からず、現状も見えず落ち込んだ。
落ち込んで逃げたくなる。
逃げたくなって、なかったことにしたくなる。
なかったことにしたいと思う自分の品性に
また腹が立つ。
後悔してるの?

『いや、反省してるの。
 後悔とは違うんだよ。
 そのことはよしとしない。肯定もしない。
 起こってしまったこと、してしまったことは消せないから、
 後悔すると、そのことから離れられなくなりそうだから。』

離れられなくなったら、怖い。怖い。
ずっとここにいるなんて、いやだ。

立ち上がらなくちゃ。
しんどくても、まず、立ち上がろう。
底を踏みしめてみよう。

落ち込んだ底は、行き着かなければならなかった場所だ。
踏みつけて、踏ん張るために。
そのことを消し去るのじゃなくて、しっかりした土台に
生まれ変わらせるために。


立ち上がりたいと願う心の奥に、
消えかかっていたともしびが、光輝きはじめて
ほんの少し周りが見えた時
なんとたくさんのよけいなものたち。

手放そうと思う。

手放して、立ち上がり歩き出そうと思う。

苦しんでいるその時間は、坂かもしれない。
よけいな荷物を捨てさる選択を迫られる坂だ。
喘ぎつつ、ため息つきつつ。


あえいだ呼吸を整えて
周りを見回すことができたとき
どこかに昇り着いたと感じたとき
その心地よさに喜び叫びたくなる。

ここまで、こさせてくれてありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

抱きしめるように、そして、そっと背中を押すように
慰め励ましてくれた、あなた、あの人、あの本、あの花、
あの歌、あの絵、あの時間、
そしてそれを全て備えてくれている何か

ありがとうありがとう。

今日読んだ、本の一文、ありがとう。

書き始め

今まで、エキサイトブログさんで、お世話になっていたのですが
思うところあって、こちらに引越してきました。
使いこなせるのかどうか、とことんいじっていないまま、
今ひとつ、確信ももてないままの見切り発車です。

とにかく心機一転して、また、問わず語りをしようかなと。

夫婦の問題、結婚生活の辛い日々は一段落しました。
いえ、もっと言わせていただければ、二段落、三段落も進んで
いまや、幸せぼけの状態。
夫との関係は、驚くばかりの順風路線。
夫婦は、問題を乗り越えましためでたしめでたしの
そのめでたしの真っ只中で、絆を深めて生活しています。

こんな風にいやらしく断言するほどに、幸せです。
あの出来事は、とことん夫という人間と
結婚という枠を通して、幸せを与えられるためにあったのだぁと
確信とじんわり。


この幸せぼけ状態は、何のためにあるのか
ただ、めでたしで終わってしまう自分独り占めの幸せでいいのか
けして、苦しかったあの日を忘れてはならないと思っていました。
忘れると、また同じことが起きそうな不安をいつもかかえていました。

今は、不安がなくなりました。

そして、どんなに苦しかったか、私は忘れつつあります。
思い出したくても、その苦しみは、去ってしまいました。
でも、苦しかったことは忘れても、どんな風にしてきたのかは
消してしまってはいけないと、心をしぼっています。


あの苦々しくせつない潰れたような時間に
どんな風にもがいてもがいてのた打ち回ったであろうその時間が
私を変えてくれたことを、
私に知らしめたことを、
今の私の胆に刻まれたことを、
忘れてはいけないと思っています。


夫婦のすれ違いで今、辛い思いをされている方に
小さなヒントを提供し続けることは
私にとってとても難しいことになってしまいました。
のど元すぎれば熱さ忘れるとは、
うまいことを言われてしまったと思います。

私には、渦中に苦しんでいる方たちと
共感する心の襞が薄れてしまったと
本当に恥ずかしくなります。

ただ、
夫婦力が回復し、心が安定していくことで
見えてきたこと、
見ていきたいこと
見ていただきたいことが
また広がってきました。


信頼関係を心底なくした夫婦でも
また新たな絆は結べます。
結ぶチャンスがあります。


そう祈りつつ、書かせてください。

奢らず高ぶらず、書かせてください。




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