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底辺でほどける

特に思い入れが、昔から深くあったわけではないのですが
私のHNは、『forgive』にしています。

ブログを立ち上げたいと思ったときに、
何のためにブログを書くのかと祈っていったとき、

ああ、ゆるしたいんだと、
何もかもゆるして、いや、ゆるされているからもういいんだ という思いが
ふんわりとやってきて、なんの躊躇もなく『forgive』にしました。

日本語で、ゆるすは、たいてい『許す』と『赦す』という文字を使いますが
yahooで検索すると『聴す』と書いて『ゆるす』とも読むそうですね。

なるほど。
人の話に耳を傾けるその行為、ゆるしていないとできないことである と
胸にすとんと落ちてきました。



以下は、ある方のネット掲示板 書き込みからの抜粋です。

(引用元の方に心よく引用許可をいただきました。
 感謝です!

 ご紹介する本は、私はまだ読んでいないのですが
 この本はユーモアがあって気軽に読めて面白いので、
 よろしければどうぞとお薦めをいただいています。)


 




***************

「あなたが与えたものが、あなたが受けとるもの」という長いタイトルの本を読みました。



もういつ買ったか覚えてないくらい前にかっていた本。
7、8年前くらい。

その中で言葉について面白い記述がいくつかありました。


「許す」というのは、「与えるために」という意味だ
という。

「許す」は英語で「forgive」。なるほど、確かに
「与えるため」だ。

 何を誰に与えるんだろう?

この本は「人を許すことは、自分自身と相手に対して
進んで与えること」だと言っている。

たぶん、自分自身と、許せないと思っていた相手に、
人生を与えるということなんだろう。

なんとなく納得。


誰か(何か)を「許せない!」っていう気持ちをいつまでも
握りしめていたら、自分の人生を充分生きてるとはとても
言えないから。

言葉って、思いの外よく出来ています。

面白いことに、その次の項目には「忘れる」という言葉が
解説されています。

「忘れる」とは「獲得するために」という意味なんだそう
です。

「忘れる」は英語で「forget」。
なるほど確かに「獲得するために」だ。

本は「忘れることの価値はなんでしょう?」と続く。

それは、曰く「ずばりひとことー獲得すること、受け取る
ことが易しくなる点です。」

これもなんとなく納得。

いつまでも何か嫌なことや辛い事を覚えていて、
頭を 一杯にしていたら、新しいモノを獲得するのは難しい。

何かを握りしめたまま新しいモノを掴むことは出来ないし、
古い空気を吐き出さなければ新しい空気を吸い込むことも
できません。

本の言葉は続く。

「受け取るために、許しましょう。

 手に入れるために、忘れましょう。

 与えるためには、許し、忘れることです。」

「記憶を癒しましょう。

 過去を許しましょう。

 そして忘れます。

 手放します。
 
 覚えておく値打ちはありません。なにひとつです。

 体験し、与える価値のあるものとは、この瞬間の
 喜びだけです。

 手に入れるために、忘れましょう。

 忘れれば、与えることが出来ます(^-^)」


*************


その忘れ方、手放し方が難しくて、
私たちは、右往左往・試行錯誤・七転び八起きするのですが

どうしたらいいのですか!

と、嘆き叫び、どん底をみるそのことが
すでにゆるすため、忘れるため、手放すための第一歩だと思います。

わからない
むずかしい
己の小ささを思い知る苦しさを通らずして

忘れることもなく
手放すこともなく
ゆるすこともないのだろうと、思います。

マニュアルがあって、表面を取り繕うような
こうすれば忘れられます
こうすればゆるせます
こうすれば解放されます

は、ホンモノじゃないと思います。

それは、誰かのゆるしかた、愛し方、癒し方を
自分の型に無理やりはめようとしているだけかもしれません。

あなただけの
あなただけに課せられた深く落ち込むその底辺に
ゆるすことのできる希望や
ほどけてくるような柔らかなものが
必ず待っていると思います。
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救われる







生きるとは 愛すること



愛するとは 理解すること




理解するとは 赦す(ゆるす)こと




赦すとは 赦されること




赦されるとは 救われること




**



先日の牧師の説教で
さくっと牧師が放った言葉が

ぐるぐると心と頭を行ったりきたりして
なんだっけなぁなんだっけなぁ。

思い出せなくて
メモにも全部残せなくて
ネットで検索してもどこにもかからない。

牧師に聞けばいいんだよと思いつつも、
教会にいるときには、他のことに目がいっていたり。

あとで、ほっとした時間のときに
ああ、なんだっけなぁなんだっけなぁ。
ゆるすことは、なんだっけなぁ。


**




月曜日の午後。
久しぶりにぽっかり空いた時間にネットだらりの隙間ができた。
探していた言葉は、すぐそばにあった。

しかも、いつもいつもいつも
助けられているtetsuさんのブログだもの。
神様は偶然を装って、粋なことをなさるわ。

ああ、気持ちいい。
胸の不安が消えて、心すっきりだ。




**


生きるとは 愛すること




愛するとは 理解すること




理解するとは ゆるすこと




ゆるすとは ゆるされること




ゆるされるとは 救われること




**




辛くてどうしもなかったとき
そこにそっと手が差し伸べられる。

一見状況は変わらないのだが
救いの手が差し伸べられる。


『ああ、救われました。』と
安堵の感謝ができたのは

本来なら滅ぶに等しいちっぽけな自分が
ゆるされて生かされていると
知ることができたときの、感謝のため息だ。

ゆるすためにあるのさ

千足とQの絵本ワールド  ごんぱち作 「ピトラの冒険」より




「おう、ピトラ」

「ゲンさん、こっちにこられるの?」

「ゲンブのゲンさんをなめちゃいけねぇ」

 ゲンさんはてをのばして、リンガをつかみます。

「あっ、どうするの?」

「せかいのさかいめをかってにきったんだ。
 おいらたちがどれだけくろうしたか。まあ、おしおきだろうな」

「そんな! リンガはわざとやったんじゃないんだよ!」

「わかってる。でもな、おしおきってのは、わるいことをしたヤツをくるしめ るためにあるんじゃねぇぜ」

「え?」

わるいことを、あらいながして、ゆるすためにあるのさ
 
ゲンさんとリンガは、ふっときえました。

「リンガ……」

 もう、なにものこっていませんでした。

「また、あおうね」

 ピトラたちのきおくのほかには。






***********

そういえばと、思い立っていやらしくも
『ゆるすために』と検索してみました。

自分のブログとキリスト教関係
そして、こんなに素敵な創作童話のHPがUPされてきました。

**


もう何も残っていない。
自分達の記憶のほかには。
お仕置きをして、洗い流し、ゆるしてしまった。



残っている記憶は、単なる記憶にすぎないのかもしれません。
記憶に苦しむのは、自分へのお仕置きでしょうか。
自分へのお仕置きは、どこまで続くでしょうか。
ゆるしていることを
ゆるされていることを知っているくせに、
どこまでもこだわる自分に仕置くことは、
【ゆるす】ということそのものへの、侮辱かもしれません。

ニーバーの祈り

THE SERENITY PRAYER

O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
                          Reinhold Niebuhr




ニーバーの祈り

神よ、

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
                 
           ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)






にコメントをくださったPiedritaさんが、紹介してくださった祈りです。

神様にゆだねるとは
自分の限界をしること、
そして、それは、けして
卑下すること、卑屈になること、あきらめることではなく

生かされている
こんなにちっぽけな私でも
生かされていると

この小さな頼りない器を
からっぽにしたときに
この器から、傲慢=頑張りすぎてしまう自分
を、思い切って、ぽいっと捨ててしまう時に

なんだろう
時にかなった懐を授けていただけるような
気がします。



*この祈りの背景等を詳しくご覧になりたい方はこちら






**************************

前ブログからの転記記事です。
この祈りにどれほど目を開かれたか、助けれたか、感謝しています。
何か特別のような気がしてこのブログにも記録します。

自分を愛するために③

忘れないで欲しい、君にチャンスを与えてくれた人を

誰かがある日
君の中に何かを見つけた
今日の君の何分の一かは
そのおかげだ
その誰かは
思慮深い両親
洞察力のある教師
きびしい軍隊の教練隊長
思いやりのある雇い主
それともきっと
ポケットの中をまさぐって
何ドルかを探し出してくれた
君の友達
それが誰であろうと
君の将来に賭ける
親切さと
先見を持った人だった
人間と
オランウータンとを
区別するのは
この二つの美徳なのだ
これからの24時間の中から
10分間だけとって
君を助けてくれた人に
感謝の言葉を書こう
それで一つの素晴らしい友情が
これからも生き永らえるだろう
そうだ、それからもう10分間だけとって
今度は他の誰かに
チャンスを与えてあげなさい
いつの日か
君にも
素敵な手紙が届くかもしれない
それは君が今までに読んだ
もっとも心あたたまるメッセージの一つに
なるかもしれないから



Do You Remember Who Gave You Your First Break?

Someone saw
something in you once.
That’s partly why you are
where you are today.
It could have been
a thoughtful parent,
a perceptive teacher,
a demanding drill sergeant,
an appreciative employer,
or just a friend who
dug down in his pocket
and came up with
a few bucks.
Whoever it was,
had the kindness
and the foresight
to bet on your future.
Those are two beautiful
Qualities that separate
the human being
from the orangutang.
In the next 24 hours, take
10 minutes to write
a grateful note to the
person who helped you.
You’ll keep a wonderfull
Friendship alive.
Matter of fact, take another
10 minutes to give
somebody else a break.
Who knows ?
Someday you mightGet a nice letter.
It could be one of
the most gratifying
message you ever read.



上の言葉は、ブログMirai Project に紹介されていたものです。

自分を愛するために
自分の大切さを知るためには、
そこここに溢れている小さな小さなことに
気がつこうとする自分の心を開くことも、その第一歩かもしれませんね。

絶妙のタイミングに
暗闇に囚われそうになったときに
振り回されてぐちゃぐちゃのときに

誰かが助けてくれた。
誰かが手を差し伸べてくれた。
誰かが叱咤激励してくれた。
誰かが慰めてくれた。

その助け手となった人に頼りきると
また、私はその人に依存してしまうから。
また、同じグルグルモードになってしまうから。

その助け手となってくれたその人に感謝しつつ
その後ろで、完璧なバランスを保ってくださる
神様を一番に思いたいと、祈っています。

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