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しるしてきたこと

ジャパニーズポップスは普通に好きだ。
でも、聞けない時があった。

愛だの恋だの思い出だの
恋愛関係に少しでもかぶると、夫の事件とかぶって
気分が悪くなったり、頭痛がしたりしたからだ。

もう最近は、全然平気。
昔のように、単純に楽しめるようになった。
恋愛の歌は、すっかり夫と私にかぶらせてご機嫌になれることも
ままある。(アホみたいですが)


そこで Mr.Children の 『しるし』ですが

泣いてしまった。
夫もとなりで涙目になっている。


娘『あれ、泣いてるの?ママさん』

私『うん、泣けるわ。すごいね、桜井さんは。
  すごい歌詞だね。』

夫『・・・・・・・(涙目)』

私『いい歌詞だね。なんかクラクラするね。』

夫『【面倒くさいって思うほど、真面目に向き合った】って
  ところだなぁ・・・』

私『私は、どんな記念日より日々の全てが記憶に~みたいな
  意味のところがあったでしょう。
  そこがたまらないわ・・・・。』

夫『・・ああ、そこもいいよねぇ。』

娘『なんか嫌な感じだなぁ。
  いちゃいちゃしてる(笑)』

私『これは、中年夫婦が様々なことを乗り越えて
  夫婦の絆深くなったっつう歌だよ!』

娘『ゲロ!やめてよ!』

夫『いや、パパもそう思う。ママとパパの歌だよ。』


**

しるし。

夫婦のしるしは、なんだろう。

目には見えない。
さわることもできない。
形もない。

でも、確実に夫婦はしるされてきている。
望んだ方法や、道ではないけれど
夫婦がしるされてきたそれが、

今、ほっこりと温まった。
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お交わり

交わるとは、辞書によるとつきあうという意味がありますね。
『朱に交われば赤くなる』との慣用句もあります。

でも、教会で初めてこの言葉を聞いたときに
とんでもない違和感を感じました。
まずい。宗教はやはり危ないぞ。
何を交わるのだと思いました。
(この発想は、日頃そんなことばかり考えているから^^;)


礼拝の最後に、牧師が
穏やかに、柔和に、落ち着いて

『礼拝のひとときを感謝します。
今週も皆様のご健康と
主にある生活をお祈りいたします』 とかなんとか
そして、『どうぞお交わりください。』
と、おっしゃる。

そうすると
会堂に集まった皆が、握手を交わして
感謝しますとか、ありがとうとか
お祈りしていますとか、
また、それぞれに談笑となったりするのだ。

なるほど。これがお交わりね。



時々牧師が詳しく説明してくださる。

『初めて、教会に来られた方は
 違和感を感じるかもしれませんが
 私どもの教会では、礼拝後、この一週間の皆様の
 守りを祈って、その感謝を握手をもっって、それぞれに示します。
 外国の教会ですと、hugでなされるのですが
 日本人にはその習慣があまりありませんので
 どうぞ、握手でお交わりください。』

とのことだ。


ふむふむ。
怪しいものじゃないのですね。
そういえば、ゴスペルのイベントで
ベースの教会に寄せていただいたときに
礼拝後、黒人の大きなご婦人たちがhugしてくださったっけ。
温かでふかふかの巨体に優しく抱かれたその日にゃあ
天使やら、御使いが慰めてくれるって
肉体であらわすとこんな感じ?!と、感動したものです。

何かのときに儀礼的にhugするのとは違う。
教会のhugは何か特別なものが詰まっていると感じました。



そうして、日本のこの教会ではhugのかわりに握手ですね。
なるほどなるほど。

慣れると こりゃいいもんだ。
あの人この人、なかなかお話しできないその人の
顔や名前を覚えたり、笑顔に触れたり、かなりいいものです。



*****

夫と教会に通うようになっても
夫婦の仲が なかなか思うようにいかなかった時間があります。

教会へ向かう車の中で
しゃくりあげるほど泣いて
『あなたといたくない。本当にもう顔も見たくない。』と
切々と訴えたことが何度もありました。

それでも、礼拝にはいきたくて
教会には絶対にいきたくて

泣きはらした目を伏せつつ うつむきつつ
なんとか、会堂の席についています。



どうして 夫と離れて座らなかったのだろう。
教会にご夫婦で集っておられる方が多くて
うちの夫婦仲もいいのよと へんな見栄をもっていたのかもしれません。


礼拝の先生の説教が終わって

『お交わりください』の声が聞こえます。

夫と私の両隣には、ほかの方がそれぞれ座っているのですが
その方たちとの握手を先にせず
まず、2人で握手をしました。
いつも、どんなときもまず、2人が握手をしました。

お隣にどんなに親しい人が座っても
娘たちが座っても
もう離婚しかないと心に刻んだときも
ゆるすもんかと怒り溢れたときも

どんなときも、夫の手を握りました。

そのたびに
心の中の堅くとがった固まりのようなものが
溶け始める。

私がそれを溶けるな、
せっかく怒ってきたのに
ゆるさないと決めたのに
やり直しとかめんどうだと蹴散らかしたのに

優しい
柔らかい
ゆるやかが

心をさぁっと覆い始めて
もう一度やり直そうと
仕切りなおしさせる。


夫に小さな声でごめんねと言うと
僕もゴメンネとかえってくる。

そんな繰り返し繰り返しで
ある日の握手はありがとうばかりになる。

お交わりくださいとの声は
愚かな夫婦の再生もさせているらしい。

交わるとは、その重なり握りあう手のうちに
魂どおしの触れ合うかけらを織り成しているのかもしれない。

喜ぶ

どういういきさつか知らないけれど
礼拝(夕拝)の賛美で、夫と私が壇上で2人きり、歌うことになった。

やめて~~~~です。

やめて~~~と言っても
まぁ頑張ってね、大丈夫大丈夫とにっこり親切に勧められるのが
教会っつうもので、上手下手を競うコンクールじゃなし
賛美だからね、賛美と言われて、断りきれず
一生懸命練習を積んで望みます。


ただ歌うのじゃ、つまらないので
ちょっとハモってみましょうか、ということになります。

夫は、音楽の素養がなきにしもあらず。
つうか、ないようであるが、あるようでなし。
いやらしく表現すれば、私よりへったぴぃの人だ。


散々に厳しく、
ここで息を吸え
前を見ろ、姿勢を正せ
あやをつけるな、素直に歌え、
メロディをとらえよ、歌詞に心こめよと

と指導する私。
君みたいにはできないよと、へこむ夫。

それでも、本番はやってきます。


当日、どうにかこうにか、声をだしますが緊張しますよね。
礼拝だから、賛美だから、人前だから、神様の前だから
ゴスペルちっくなリズムのある曲ではなく
讃美歌の涼やかでまっすぐなメロディであるがゆえに
緊張が極度に達してしまいました。


結果、夫は間違わず、つられず、見事に歌いきり
私は、歌詞を間違え、ハモルところは、ずれて散々でした。



礼拝後・・

私『・・・間違えた。全然だめだった・・・』

夫『ごめんな。僕がへたくそだから、ちゃんと歌えるかどうか、
  君心配だったんでしょ。集中できなかったんだよね・・』



優しく謙遜な言葉が、夫の口から柔らかくでて、
耳にそっと吹き込まれるから、思わず泣きそうになる。


神様、ありがとうございます。
夫婦をやり直しさせていただいて、本当にありがとうございます。

私のような最低の人間に
生まれ変わるとは、このことだと
夫を通して働く信仰を見せてくださって感謝します。



**

泣こうか、どうしようか。
泣きたい。泣くほど嬉しい。


私『あなた、いい人だね。
  私たち結婚してよかったね。いやだ、泣きそうだから笑うよ。
  がはははははは。』

夫『がははっはかよ。まぁいいか。ははっはははは。
  ああ、賛美終わってよかったね。』

恥ずかしいから笑っておこう。
嬉しいから笑っておこう。
喜びなさいと言われているからこの時こそ喜んでいよう。





**********

娘にこのことを話す。

私『ねぇ~パパっていいよね。』

娘『うん。笑っておいて正解だ。調子にのるからね。それくらいがいい。』

厳しいぞ!娘。
  

鼻血と下痢

夫からメール。

怒りにまかせるしかなかった自分を見つめて心痛めています。
怒りが湧いたときに、十字架と君の心根を見つめることができる
ように祈り続けています。やさしくできなかったこと本当に
ごめんなさい。君の体調を心配します。

これから事務所に移動です。鼻血がおニューのズボンに付き、
ひどい下痢でさっぱりです。



鼻血と下痢!
かわいそうだから、仲直りしよう。

私がいじめたみたいだな。
いや、そうだけど。
鼻血と下痢は、いけないよね。




仲直りして、また喧嘩して、また仲直りして、また喧嘩して
ばかみたいに一緒にいるのは
絆とかいうものだと語る必要もないほどに
平凡に幸せなんだ。

あのことがあったから、
こんなに思い切り胸をうちを
ぶつけ合うことができるようになった。

よかったと思う。
神様の道は不思議な道だと思う。

***


夫帰宅。
ブログを夫に読んでもらい、気持ちを伝える。
笑って読みあう。
目を合わせて笑う。小さくごめんねと言ってみる。

心が喜んでる。落ちついてる。砕かれて解かされた。

夫婦は違っているのだから


【夫婦の交わりを育てるために】

人格的交わり、夫婦の交わりでとくに重要なのは、
相手を尊び、相手に最大の関心を払うことである。
現実の夫婦関係では、尊敬が欠けがちだ。

愛し合ってる夫婦もあるが、無関心だったり、
相手を軽蔑したり、恐れをもっていたりする夫婦も多い。
尊敬し合ってる夫婦は少ない。結婚関係においては、
それぞれが相手を大切にし、夫婦最優先の姿勢を
整えることが何よりも大切だ。

その基本となるのは、相手に注目すること。
相手に最大の関心を払うことだ。
結婚してしまうとほとんど無意識に相手を無視するようになるので、
意識して相手を最優先を心がける必要がある。

(中略)

相手を尊敬するということの具体的な現われは、
相手の話をよく聴くことである。
大事な人の話には耳を傾けるのが自然だ。
しかし、現実には、相手の話を聞けない。
とくに夫が妻の話を聞くのは大変な難事業だ。
それは、夫が、聞きやすい話し方をすることに
妻が心を用いないこことと対をなしている。



************


昨晩の喧嘩・意見交換は
まったくこのセオリーを無視したものであったと反省。

わかっているけれどできないことはあっていいと思っている。
でも、開きなおりにならないように。次はよりよくとの思いを捨てずに。


夫婦は、何かのために
・・・子供のために、家庭のために、将来のために、夢のために
お金のために、幸せのために、安らぎのために、癒しのために・・・
なすことを2人して協力していく
共同体であり、またその同志であるけれど

その同志になるためには
お互いがお互いを一番大切だと
伝えつづけることが大前提だろう。

愛情ごっこの部分を他人はよしとしなくとも
それが夫婦のゆるされた形なら、感謝して抱こう。
だが、その愛情のストックは底が見えやすい。

甘えた、寂しがりやの、わがままの
だらしない私だから助けがいる。

鈍感で、がむしゃらで、無作法な夫だから
助けがいる。


こんな情けない2人を何度も何度も
優しく丁寧にとりなしてくれるのは何ものだろうか?



****************

尊敬は人を育て、軽蔑は傷つけ殺す。
尊敬は決意である。
尊敬できるところがあるから尊敬するのではなく、
主が備えてくださったからその方を尊敬しようと決意するのである。
調和のある夫婦関係というのは見せかけの調和に過ぎない。

夫婦は違っているのだから、ぶつかり理解し合って、
バランスのとれた新しいハーモニーを生み出すことが必要である。
そのためには、自分の心の内を勇気をもって
きちんと表現することが大切になる。



太字部分~抜粋
『ディリ-・クリスチャン・ライフ 唄野隆・唄野絢子共著 』
 いのちのことば社 より

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